とぼとぼと。

とぼとぼと。

「なんでそんなに肩もたなあかんねんや!」
どこで思い違いをしているのかわからない母が目の前の僕に叱りつける。その言葉に僕はトイレで胃の中のモノを吐き出した。僕が妻の味方をしてどうして悪い。
そして「なんでも知っとんやで、あの家のこと」。
僕はその言葉の存在をなかったことにする。僕は部屋が暗いので調光できるロールスクリーンの生地をスライドさせて光を部屋に取り込む。
「わたしは今から昼ご飯をたべるから」
母はそう言って、ロールスクリーンを元の状態に戻す。
「見えないって」と僕は言う。
「見える、見える!」と母が言い返す。

今日の午前の遅くに、実店舗へ向かう前の「事故」。
顔を合わすたびに母から不平不満の言葉が家にあふれる。

とぼとぼと歩いているような気分に圧倒されて、2017年の2月はじめからなにもする気にもなれない、と潔さを欠く言い訳としてここに記録しておく。
もう1年以上、僕は食事だってまともに摂ることのできる心の状態ではない。

zatsu/boku/rin

zatsu/boku/rin

「雑木林」に「ざつぼくりん」とふりがなをふったある国語の問題集を譲って、私立の中学の受験を目指す弟に間違いであることを指摘された中学生のころの僕を思い出したのは僕がたまたま「総花的な政策」という表現を調べていたからで、「重箱読み」や「湯桶読み」といったルールがあったことも忘れていた。
「雑木林は」は「ざつぼくりん」でも構わないこと(意味はやや異なる…)を今、知ったのだけれど、中学入試では点数をもらえないようだ。

「総花」は「そうばな」で、重箱読み。「経木」も重箱読みで「きょうぎ」。
重箱の「上の箱」にうなぎのかば焼きを入れ、「下の箱」にごはんを入れ、たれをかけた料理を「鰻重」と書きますが、これは湯桶読みで「うなじゅう」です。

声を出して本を読むことが好きな9歳の娘はそんなことを気にしながら本を読んだりしていない。僕は間違いに気がついたときにしか注意しないし、誰も笑わない。1年間で音読300冊にもうすぐ達します。

積み荷

積み荷
僕が1回に輸送できる、あるいは処理できる分量を超えることはもう33年近く続いている。
思い返せばそれらはもっと前から存在していたことを見せつけられる毎日なのだけれど、僕は思い返さないように試みている。

僕はどこへも行くことができない。たどり着く先も考えたくない。
慣れて抵抗を感じなくなるどころか事態はますます悪くなる。

「ダンラン印紅茶」「ダンラン紅茶」のマッチラベル

「ダンラン印紅茶」「ダンラン紅茶」のマッチラベル

「ダンラン印紅茶」「ダンラン紅茶」のマッチラベルなのですが、「ダンラン紅茶」について調べてもなにもわからないままに時間が過ぎていきました。
たるみ燐寸博物館には大正時代から昭和時代の初めにかけてマッチラベルを蒐集していた人のご家族からいただいた、整理されないままのマッチラベル(燐票)が数多くあるのですが、その中に見つけた2枚です。
そういうことでおそらく大正という時代の終わりか昭和という時代の始まりに経木のマッチ箱に貼られて流通したのだと思います。
温かな紅茶を想起させるデザインが素敵です。
webを検索すると「ダンラン印紅茶」の他のデザインも多く見つけることができます。

さて、日本では政府が主体となって、明治時代の初めに大分県と熊本県に「紅茶伝習所」を設け、1877(明治10)年には「紅茶製造伝習規則」を発布して、積極的に紅茶の生産を行おうとしていました。
国産紅茶の詳しい歴史はwebの検索結果で確認してくださいね。とにかく国産紅茶の歴史は長いのです。

「ダンラン印」の「印」は世界最大の紅茶生産国インドのことかとも思った時期もありましたが、「ダンラン」というレストランがあったのかもしれません。
路地の行き止まりに迷い込んだようなので、このあたりでおしまいにしましょう。

修学旅行なんて行きたくなかったんだ

修学旅行なんて行きたくなかったんだ

一昨日、白馬栂池にあった”FUNKY DISCO「CHAPLIN」”の角型マッチ箱のことを書いて1時間後くらいに気がついたのだけれど、高校の修学旅行の行き先が「信州」だったことを思い出したので、「僕は長野県に行ったことはありません」というのは僕の大きな思い違いです。

修学旅行の意義とこれからのあり方について議論したいわけじゃない。まあ、なにかの参考になればうれしいのだけれど、僕は修学旅行に行きたくなかったんです。

「おねしょをするから」といった理由ではありません。
僕は深い眠りにつくまでに他の人より時間がかかったことと人の寝息が気になって眠れないという理由は少なからずあったかもしれないのだけれど、小学生の時も中学生の時も高校生の時も修学旅行までに気を遣うの必要のない友達なんて作ることができなかったからです。

僕は小学校も中学校も高校もそれぞれに入学した学校と卒業した学校が異なります。
僕の素行の悪さから教師たちが「この学校で卒業させるわけにはいかない」と判断したからではないと思います。そして、いずれも修学旅行が実施される年に転校しているのですが、「修学旅行で問題が起こると困る」と教師たちが判断したからでもありません。

転校してから修学旅行の日までに多くの時間を同級生と共有することができなかった僕には修学旅行なんて訳のわからない具材を押し込んだ缶詰の中の異物のように自主回収の対象だったんです。