中心の周辺

中心の周辺

頭の内側から外側へ向けて何かを破壊するように痛みが広がっていきます。
一日、伏して耐えるのです。
明日は必ず病院へ行こうと思っています。病院へたどり着けるかどうか自信がないけれど。

広告

緊急停止装置

緊急停止装置

僕の双子の息子たちのひとりの負荷心電図検査の結果は予想通りというのか思わしくありませんでした。
ひとりはトレッドミルを5分間走りきって重篤な不整脈はなかったけれど、もうひとりは4分過ぎに期外収縮があらわれ、4分30秒で検査を中断しました。
期外収縮が続くと心室頻拍に移行します。心室頻拍が続くと心室細動となります。
運動量も増えてくるし、子供たちに運動と感情の緊急停止装置が備わっているわけではないし、βブロッカーとNaチャネル遮断薬は年齢と体重を鑑みて、今の処方で上限だそうで、より多くの運動制限となります。
運動会の練習や校外学習に妻と僕が交代で参加することになります。
6月から始まるプールの授業の付き添いは僕の担当です。

そんなことで、店舗である「レッドアリゲーター」も「たるみ燐寸博物館」も休みが(営業日と開館日が…)ふらふらと彷徨いますが – 元々、不定休だけど -、許してくださいね。

マッチ・コレクション/G線 (ジーセン) – 神戸・三宮

マッチ・コレクション/G線 (ジーセン) - 神戸・三宮 (1)

マッチ・コレクション/G線 (ジーセン) - 神戸・三宮 (2)

マッチ・コレクション/G線 (ジーセン) - 神戸・三宮 (3)

マッチ・コレクション/G線 (ジーセン) - 神戸・三宮 (4)

マッチ・コレクション/G線 (ジーセン) - 神戸・三宮 (5)

マッチ・コレクション/G線 (ジーセン) - 神戸・三宮 (6)

マッチ・コレクション/G線 (ジーセン) - 神戸・三宮 (7)

今では阪神淡路大震災以降の「G線(ジーセン)」を知る人のほうが多いのかもしれませんね。現在は神戸・中央区神若通に本店とカフェがあります。
「G線」は”神戸らしいスタイルでお客様に親しまれて”いる洋菓子店で、創業は1952年です。
G線(ジーセンコンフェクト株式会社)の歴史は公式サイトに店名の由来を含めて詳しく書かれていますので、そちらを参照してください。

三宮センター街での創業当時、「G線」の北側(通りを挟んでその向かい)には「大洋劇場」という映画館がありました。

「G線」のパッケージやロゴデザインやマッチのデザインを手掛けていたのはグラフィックデザイナーの早川良雄。
「カストリ明朝」と呼ばれる書体の考案者です。この書体についてはNPO法人日本タイポグラフィ協会が1999年に刊行した「タイポグラフィックス ティー Typographics ti: / No. 208」に詳しく載っているようですが、入手が難しそうなので、どのような書体なのか僕は確認してません。
たるみ燐寸博物館にある3種類のマッチ箱に描かれたイラストに「カストリ明朝」があるとすれば3枚目の写真にあるマッチラベルに描かれた”G線”という文字でしょうか?

ということで今日はおしまい。

* blog内、全て敬称略です。

出発地点、経由地点、目的地点

出発地点、経由地点、目的地点

僕は電車やバスの中では本を読んでいることが多いのですが、車内アナウンスが長いとそろそろ乗り換える駅が近づいたとか、何度も利用している路線だと駅名の長さやその響きや車窓からの眺めや駅の雰囲気で降りなければならない駅だとか、聞き慣れた駅名がアナウンスされることで反射的に降りる駅だと判断することが多いような気がします。
「垂水」なら「たるみ」の3音、「甲子園口」なら「こうしえんぐち」の7音、「雲雀丘花屋敷」なら「ひばりがおかはなやしき」の11音って感じです。
夜はほとんどの駅と駅周辺の風景が同じになるので、車窓からの眺めで判断するのは難しいし、駅の雰囲気は似ていることもあるので注意しなければなりません。

みんながみんなってわけじゃないのだけれど、電車とかバスに乗ってスマートフォンを見入っている人はどうして降りるべき駅できちんと降りることができるんだろうと思っていたら、スマートフォンには目的の駅が近づいたら通知してくれたりするアプリケーションがあるんですね。

本などを読んでいて、はっと気がついて「ここって降りる駅?」ときょろきょろしながら駅名標を探したり、慌てて降りたら一つ前の駅だったとかするのは僕くらいで、通勤時間帯にはそういう人ってあまり見かけなくなりましたよね。

一直線に封を切る

一直線に封を切る

「太陽」はスケジュールが3か月先まで詰まっているという理由で、どうにか空白を見つけた今日という日に「夏日」を入れてしまったそうです。
おかげで、春を忘れそうな「おでかけ日和」でした。
でもね、僕の目と鼻と喉は季節が春であることを「忘却」という言葉の中に押し込むことはないのです。