“1917年に創業した中島飛行機は瞬く間に巨大会社となり、富士産業と名前を変えたのもつかの間で、解体された後は、それぞれの工場が独立した企業体として再出発することになった。(野地秩嘉「スバル ヒコーキ野郎が作ったクルマ」、2019年、プレジデント社)”
“会社も15社に分割された。15社とは日本各地にあった工場の単位に分割されたということだ。(同書)”
“富士産業から分かれた各社のうち、スクーターの製造を手がけたのは太田、三鷹の工場である。どちらも会社名は富士工業。(同書)”
日本文化放送が「1130KC」という周波数を使っていたのは1953(昭和28)年8月15日から1978年まで。
ラビットスクーターは1946年から1968年まで製造販売したスクータータイプのオートバイ。
“ラビットスクーターは女優の高峰秀子、北原三枝(石原裕次郎夫人)、白川由美といった宣伝キャラクターを起用し、広く宣伝したこともあって、時代を象徴する乗り物になった(同書)”
「ラビット娘」とは高峰秀子、北原三枝、白川由美を起用したラジオ・ドラマだったのでしょうか。
そんなミュージィック・ドラマ「ラビット娘」 日本文化放送毎土曜 提供:富士工業株式会社のマッチラベルです。