カテゴリー
雑文 雲漏れ陽

ナツメグ・オーバードライブ

ナツメグ・オーバードライブ

「雲漏れ陽」というのは僕の造語で、「くもれび」と読みます。「くももれび」ではありません。
定着もしていない、する気配もない表現です。

ナツメグ色が加速する空と雲の間に展開された、2021年4月最後の日の切り取れなかった「雲漏れ陽(くもれび)」は僕の記憶の中に沈めるとして、2017年11月20日以来ひさかたぶりにその一片をここに残しておきます。

カテゴリー
雑文 雲漏れ陽

テンポラリファイル

テンポラリファイル

何日か前までは冷たい空気も陽射しに比べて劣勢だったのに、今日の空気にはもう冬への戸惑いもないので、一時的な置き場所に隠していた2017年11月15日の「雲漏れ陽」を引っ張り出してきた。
曇り時々雨のち晴れ、そして時々雨の残骸。

カテゴリー
雑文 雲漏れ陽

欠片のかけら。

欠片のかけら。

もうそれは散り散りになってしまって、僕は元の全体的な形を忘れてしまった。
そうなると、もうなくなった部分もどこからか紛れ込んだ部分も見分けがつかなくて、僕はつなぎ合わせる試みさえ放棄してしまう。

カテゴリー
雑文 雲漏れ陽

切り戻して、再び。

切り戻して、再び。

2017年3月二つ目の水曜日。
午後からの充分な陽射しも僕には説明不足のようで、両手の指は痛いほど冷たい空気に抱きしめられる。
じっと待って、雲漏れ陽。
“「雲漏れ陽」と書いて、「くもれび」と読む会”よりご報告2017年3月号でした。

カテゴリー
雑文 雲漏れ陽

体内配線

体内配線
「”電力自由化”というタイトルにしよう」と思ったら、すでに2016年1月7日のblogで使っていた。
そういうわけではないのだけれど、使い道のない、昨年の「今日」の空の画像。

そして今夜、茹でたてのパスタが遠心力で皿から飛んでいって、床に散らばる。やれやれ、やれやれ。
体内配線が大混乱の日です。