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マッチ・コレクション/「森永」の経木マッチ箱3種

マッチ・コレクション/「森永」の経木マッチ箱3種(表)

マッチ・コレクション/「森永」の経木マッチ箱3種(裏)

東京大学総合研究博物館画像アーカイヴス「日本の新聞広告3000(明治24年 – 昭和20年)」というデータベースがあります。
それによると、1931(昭和6)年9月27日発行の「東京朝日新聞」第2面に「森永ニッポンミルク」、同年10月31日発行の「報知新聞」第1面に「森永ミルク」の広告を見ることができます。

森永製菓株式会社は佐賀県伊万里市出身の森永太一郎が日本で初めての洋菓子専門工場として、森永西洋菓子製造所を東京に開いたことに始まるそうです。
1912(大正元)年に「森永製菓株式会社」と改称しました。

表に「森永ミルク」、裏に「森永ドライミルク」というラベルが貼られたマッチ箱にはそれぞれ「品質第一」、「新価 小 75銭 、中 1円40銭、大 3円60銭」とあります(「銭」にはいずれも部首「かねへん」はありません)。

表に「ニッポンミルク」、裏に「森永北海道バター」というラベルが貼られたマッチ箱にはそれぞれ「香りよい 濃いクリーム コーヒー・紅茶・ココアの風味を百倍す!!!」、「新鮮・純良」とあります。

1917(大正6)年に森永製菓株式会社は日本煉乳株式会社を設立し、1921(大正10)年に「森永ドライミルク」を発売しますので、おおよそその頃に流通した経木の広告マッチだと思います。

表に「喫茶トお食事/森永の菓子」、裏に「森永キャンディーストアー/喫茶トお食事」と印刷されたラベルが貼ってある経木のマッチは全国展開されたレストランの広告マッチの1つだと思われます。
裏側には「堂ビル 電北5890」「高麗橋 電本5226」「心斎橋 電南3880」「京都新京極 電本4839」と印刷されています。
おそらくそこに「喫茶トお食事」のできるレストランがあったのでしょう。
「キャンデーストアー」と表記されていたのは第2次世界大戦前で、戦後「キャンデーストア」と表記されるようなったとの情報もあります。古い広告マッチであることは確かです。

佐賀県立博物館にて2014年7月18日から9月7日まで、”生誕150年記念「森永太一郎 – 2坪の町工場から始まった〈おかし〉革命 -」”と題する特別展が開催されたことを僕は今日知りました。

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