「西の迎賓館」として今も長い歴史を刻み、多くの著名人が宿泊する奈良ホテルが奈良公園内に誕生したのは1909(明治42)年10月のことだそうです。
以降は僕の個人的な多くの理由から推測で書く部分もあることをご容赦ください。
元は経木のマッチ箱に貼られていたラベルであると思われます。既にラベル(燐票)は剥がされ、黒い色の台紙に貼り付けて保存されていたので、2枚のうちどちらが「表」であったのかわかりません。
両方とも「表」で、「裏」には何もなかった可能性もあります。
とりあえず、「NARA HOTEL」と書かれた面を表面と仮定して、手元にある別の経木のマッチ箱に貼って再現してみましたが、箱自体の厚みを特定する資料が見当たりませんので、これより厚みのある経木のマッチ箱であった可能性もあります。
別の1枚には「奈良ホテル 鉄道省直営」と印刷されています。
奈良ホテルの公式サイトにある「奈良ホテル歴史・年表」を見ると、1913(大正2)年に「日本鉄道院」の直営となります。「日本鉄道院」は1920(大正9)年5月15日に「鉄道省」となります。
「鉄道省」は1948(昭和23)年に運輸通信省に統合され、その名称はなくなるので、1920(大正9)年5月15日から1948(昭和23)年までに流通したのだと思います。
このマッチはホテルの宿泊部屋に置かれていたのでしょうか?
今の、そして、おそらく今後の僕にも、さて週末にと、気軽に宿泊できるホテルではありません。
「奈良ホテル」の公式サイトには
“ホテルの歴史を紐解く物品、情報をお持ちのお客様はご連絡ください。”
とありますので、連絡してみます。あまり重要な物品ではないとは思います。
* マッチ棒は手元にある経木のマッチ箱に入っているモノをそのまま使用しています。