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雑文

ジョゼフ・コーネルの箱

ジョゼフ・コーネルの箱

彼女が彼の作品を知っていれば、「まるであなたの部屋みたいね」とでも呟いたかもしれない。
僕はそれに、「ふむ」と首をわずかに傾斜さたかもしれない。

けれども、彼の作品と僕の部屋では同じ「箱」という空間にしても、圧倒的な隔たりがある。
机の上には雑誌だとか読みかけの小説だとか、新聞の切り抜きや、メモの切れ端や、ディジタル・カメラのバッテリーの充電器が雑然と置かれ、まるで大雨の日に今にも崩れそうな斜面の様相を呈している。
普段、目にしない場所にはホコリだって積もっている。
椅子にはタンスに入りきらなかった衣服が意味もなく荒っぽく掛けてある。

唯一、正当性および妥当性の美的基準との適合をみとめることができる場所はベッドだけだった。乾いた清潔なシーツとブランケットと大きめの枕。

しかし、その空間にはジョセフ・コーネルの作品のような詩的要素は1つとし存在しない。

僕は乱雑でもなにがどこにあるのか正確に把握できる部屋で生活をしている。
詩的要素なんてほかの部分で創り出せばいい。と僕は思う。

遠い昔、作業報告書の裏に書き留めた、作品にならなかった小説の書き出しです。