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雑文

記憶の底にあるはずの風景

記憶の底にある風景
2013年6月最初の日曜日です。
僕は昨日から財布から勢いよく転げ落ちた小銭を拾い続けるような気分で、誰の助けを借りようが、他のそれほど優れない日々に比べるまでもなく、精彩さに欠けるわけで、朝から、立ち上がることさえ物憂く、すべてを停止して、明日を向かえたい気分なのだけれど、今朝、新聞に比較的大きく載っていた「暮らしの小説大賞/第1回原稿募集」の広告を見つけた妻に「応募したら」と勧められる。

「賞金ではなくて、書きつづける意味を証明するために」と。

400字詰め原稿用紙200枚から500枚程度をテキスト形式で。”生活・暮らしの基本を構成する「衣食住」のどれか一つか、もしくは複数のテーマあるいはモチーフとして含まれた小説であること”とある。

最初から、無理だと拒みたくはないのだけれど、2013年12月15日の締切りに間に合うように最低でも400字詰め原稿用紙200枚は今日のような状態の僕でなくても、僕には経験的に書くことは不可能。

400字詰め原稿用紙10枚の原稿なんて、ほとんど苦もなく書くことができると言う人にとっては、それを20回繰り返し、うまく繋いでいくと、200枚なんて手に届く範囲にあるのかもしれない。僕は400字詰め原稿用紙10枚は見える世界だけれど、僕は文章の純度を高めるために10枚のために13枚程度書いて、再び10枚に圧縮する。
200枚なら60枚程度、余分に書くことになる。

WAVE形式のファイルをFLAC形式のファイルにほぼ劣化することもなく、圧縮・変換するのとはわけが違う。

記憶の底の風景を文章化し、物語として成立させることは僕にとってそう簡単なことではない。