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「琥珀色の水」

「琥珀色の水」

アタシはよく間違われるんだけれど、カエデじゃないの。
「モミジバフウ」っていう名前なの。覚えておいてね。漢字で書くと「紅葉葉楓」となるわ。「紅葉」ってつくから、「モミジの葉に似ているんじゃない」って、「紅葉葉風」って書かれることもあって困るのだけど、「モミジ」でもないからね。

それに、「楓」っていう漢字「カエデ」とも読むから、同じ漢字を使ってはいて も「フウ」と「カエデ」とは違います。
音で読んで「フウ」だから、ね!
「カエデ」はカエデ科カエデ属で、アタシ、「フウ」はマンサク科フウ属。
変な想像しないでよ!
届出の際には、漢字とヨミガナに気をつけてね。そうそう、別名もあって「アメリカフウ」。
「アメリカ風」じゃないっていってるでしょ!

今、日本にあるフウ属の木には「フウ」っていう「サンカクバフウ」と「モミジバフウ」の2種類だけ。
「カエデ」に似ているけれどさ、小学校くらいで、「互生」、「対生」って勉強したでしょ?
カナもふっておくわ。「ゴセイ」「タイセイ」。「葉のつきかた」がアタシと「カエデ」では違っているから、わかるはずよ。

英語表記では「Liquidambar」っていうの。感覚の鋭い人にはわかっちゃうね。
ラテン語の「liquidus」とアラビア語「ambar」の合成、つまり「流体の」と「琥珀」の合成語ってわけ。
アタシたち、フウ属の中のある種から、芳香のある樹脂が採れることから、そう名づけられたの。

花言葉は「非凡な才能、輝く心」よ。
よろしくね。

さて、それじゃ、自己紹介はあなたの番ね。

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夏来る、アーケードに射し込む夕陽/新長田

夏来る、アーケードに射し込む夕陽/新長田

神戸の昼間の空はまとうモノもなく、風も穏やかで、そっと言い含めるような、とは言い難い夕陽が商店街のアーケード越しに射し込み、眩しい夕刻の風景を夜に切り替えていこうとしていた。

僕が家電量販店で、店舗用に10mのスピーカーコードー2本1組のセットと店舗用の掛け時計の乾電池を購入しようと財布を開けた際には、いくつかの領収書と1,000円札1枚と1,000円分のギフトカードが2枚と数える必要もないくらいの硬貨が入っているだけだった。連続する休みに、現金を多く使ったわけではなく、銀行から引き出すのを忘れただけだと思う。

双子の次男から始まった39度台の熱は長男へ、そして娘へと子供たちに連なっていく。

1987年6月30日以来、26年ぶりに日付を表す数字がすべて異なる日である2013年4月5日から1か月が経過。
明日も明後日も明々後日もすべて異なる数字になる日。

今日は二十四節気の第7節目で、太陽の黄経が45度の時点に来たことを示す「立夏」でもある。本格的な夏はまだまだ遠いところから、こちらにめがけて、走ってくる途中であるはず。

明日も明後日も明々後日のそれぞれの朝に、僕は起きることができるかな?

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アラン・ライトマン/アインシュタインの夢

アラン・ライトマン/アインシュタインの夢

“時間が絶対的な存在である世界は、慰めの世界である。たとえ人びとの動きが予測でいなくても、時間の動きは予測できるからだ。人びとへの不審はあっても時間への不信はない。人びとが思い悩むあいだも、時間はうしろをふりかえらず先に進んでいく(アラン・ライトマン「アインシュタインの夢」、1993年、翻訳:浅倉久志、早川書房)”

1993年に単行本として刊行され、2002年に文庫化されたアラン・ライトマンの短篇小説集「アインシュタインの夢」は1905年にアインシュタインが見たかもしれない数々の夢を日記形式で書いている。そして、僕は「1905年4月16日」の章がもっとも気に入っている。

他の人はどうであるのかわからないのだけれど、僕は時間の限りない支配下にあって、「日時計のような存在」であることに憧れたところで、左手の指を4本指を握っていく長さの時間でさえ、「時」から開放されることはない。

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目盛盤に落とす影

目盛盤に落とす影/須磨浦山上遊園(1)
目盛盤に落とす影/須磨浦山上遊園(2)

須磨浦山上遊園の「旗振毘沙門堂」の近くに2012年8月頃、「日時計と青葉の笛広場」はできました。

針の部分は須磨の海から駆け登ってくる潮けを含んだ風に強い、耐久性のある兵庫県産ヒノキを使い、芯材はブラジル産「パープルハート」と呼ばれる非常に独特な染色を施したような紫色の木材で仕上がっています。

直径17.4m の円形の基礎にヒノキを張り合わせ、ウッドデッキは耐久性のある兵庫県産を使用して、素足にやさしいそうです。

「日時計と青葉の笛広場」の設置の経緯は労力さえ惜しまなければweb上でいくつも見つけることができるので割愛するとして、針の部分上部に取り付けられたソーラー太陽電池で動作するように設計されている機械の操作盤のボタンを押すことはお薦めしない。

治承・寿永の乱で平清盛の甥である、16歳の若さで最後を遂げた平敦盛が愛用したとされる「青葉の笛」の唱歌が流れます。不意を突かれる大音量で…。

実物の「青葉の笛」は須磨寺の宝物館の中に展示してあり、境内には「青葉の笛」の歌碑もあるそうです。

日本史の解説とは遠く隔たりのある僕が今日のblogでこのようの説明を書いたところで、得るモノはないので、「日時計」の話をしよう。

この日時計の針の部分は全長約6m、手元の資料によると

“季節による「影」の誤差を抑えるため、地面との角度を当地の北緯と同じ34.6度に合わせて、傾斜させています”

どういう意味であるのか、詳しいことは僕に質問しないでくださいね。

過去にも書いたけれど、僕には曖昧で捉えることのできない時間を明確にできる時代に、日時計のような存在が好きです。
2012年7月2日のblog「25回目の1秒長い日」で採り上げたTian Harlan がデザインした腕時計「CHROMACHRON」のように。

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半分に欠けた月、午前の空に。

20130502

春の明け方の時刻をとっくに過ぎ、夜明けから正午までの時間が終わるまで4時間しかない西の方角の蒼穹に、まるで行き場を失ったかのような半分欠けた月が残っているのを見つけた。

その後、白い雲に覆い隠されたり、姿を現したりしながらも、その月は1時間30分ほど、僕を見つめる。
大きな雲の広がりの中に姿を消し、再び蒼穹が広がったとき、もう僕からは月を見ることは不可能。
どことなく魅力的な女のコの姿に、それとなく似ている。

僕から見ることができなくても、月はもうしばらくはそこに存在している。