もうかなり前のことで、それが冬の断片だったのか、秋のことだったのか、夏に起こったことなのか、僕ははっきり覚えていない。
ふつう、人が倒れる瞬間というのは膝の力が抜けて、足元から崩れるものだと個人的な経験から、僕はそう思っていたのだけれど、僕が降りた駅のホームで、同じ車両の隣のドアから降りた長身の男性はまっすぐに立てた鉄の棒が倒れるように、わずかな折れ曲がりもなく、電車のドアの数センチのところに後ろ向きに倒れ、後頭部に鈍い音を響かせる。
僕は偶然にもその詳細に見ることになってしまったのだけれど、僕はその男性に駆けより、大きな声で話しかける。意識はある。
僕は電車の後方に向かって、叫ぶ。
その駅で降りる乗客は少なく、車両からは誰も降りてこない。
こういう場合、動かすのはよくない(おそらく…)とわかっていたのだけれど、別の危険性を考えて、同じように下車した若い男性と僕とが2人で電車から頭をわずかだけ、遠ざけた。本当に鉄の棒のように重く、そして固かった。
もうすぐ駅員が来るので、この電車はこの駅を出発してもよいか、と駆け寄ってきた車掌が僕に尋ねる。
そんなこと、僕に訊かれてもわかるわけがない。
そっちにはそっちの事情があるのだろうけれど、僕にだって事情はある。発車時間からすると3分遅れだからね。
電車は去る。
その男性は電車を降りたことを覚えておらず、そこがどこであるのかもわからなかった。後ろ向きに倒れたことさえ覚えていない。彼が立ち上がろうとするので、僕はそれを制し、鉄の柱に寄りかからせる。
かなりの時間が経過して、駅員が車椅子を押してやってくる。
状況を説明する。その男性は車椅子に乗ることを拒む。
ただ、それだけ。
質問もされず、名前も尋ねられなかった。僕が殴り倒したかもしれないというのに(殴ったりしていないけれど、本当に)。
そして、僕は駅の階段を下り、改札を抜ける。
「SKYY VODKA」の空き瓶は僕が意図的に漁港のコンクリートの堤防に置いたわけではない。
何日か前の5月のある日に写真に収めた。暑かったのか寒かったのか覚えていない。
「SKYY VODKA」の空き瓶を見たとき、季節だけが抜けたその出来事を思い出した。