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マッチ箱/マッチラベル 雑文

どこまで、書いたっけな?

どこまで、書いたっけな?

静けさはなく、クルマや救急車の通過する音がうるさく感じる今日は、既にいくつかのダメージを与えながら明日以降、近畿地方に接近するであろう、急速に発達する低気圧のことを知らずに済ますことができそうな青い空が広がり、夕刻、薄く広がる雲を横切る飛行機雲を2本見つける。

手紙において、1人称が「どこまで、書いたっけな?」「えーっと、なにを書いていたんだっけ?」と心に思っても、文字として記すことはまずないだろうな、と思うのだけれど、時々、そのような表現に出会うことがある。

1人称がなにかを文字として書き示しているなら、読み返せば何をどこまで書いたのか、わかって当然なわけで、「さて、なにを書いているところだったかな」と記する書き手は読み返す手間を惜しんでいるに違いない。

「話がそれたので、元に戻そう」という意味合いなら理解できる。

思考や会話というのはまとまりなく行ったり来るするので、僕は「さて、何が言いたかったのかな」だとか「どこまで話したのかな」と思うことがある。
そこには訂正できない、消すことも不可能な言葉が含まれ、時系列に進む世界があって、忘れるという事態も含めて、統一性に欠ける。
だから、「どこまで、話したかな?」というのは納得できる。

だけれど、文字としてそれが媒体に記録されるとき、1度読んだ箇所をもう1度読むことは難しいことではないし、最適の字句や表現を求めて考え練り直すはずだから、「どこまで、書いたっけな?」的な表現はまずないだろうと僕は勝手に思っている。

そうそう、今日、19時頃から実店舗にて、1時間30分ほど、新聞社の取材を受けた。実店舗の取材じゃなく、戦後の燐寸箱・マッチ収集家として。
コレクションに舞台が用意されたことは嬉しい。
近日中に読売新聞にて記事となるはず(大阪本社版だけだと思う…)。

笑顔を要求された僕はおおよそ11日分の微笑みを使ったので、明日、僕に微笑みがなくても、明日からしばらく外見がこわばって柔らかみがない表情をしていても気にしないでください。