





かつて存在したファミリー・レストラン。
1971年に山口県で誕生した「サンデーサン(Sunday’s Sun)」。全国展開されたので、僕も何度か利用したことがあります。
外食産業大手「ゼンショー」傘下となり、2007年頃から商号は「ジョリーパスタ」と「ココス」に変更されました。
残念ながら「サンデーサン」の写真は持ち合わせていません。
キャッチコピーはブックマッチに印刷されている”オレンジ色の待ちあわせ、サンデーサン。”だったのかもしれない。
山口県宇部市にある画廊・絵画材料・額縁・額装店「明幸堂」のマッチ箱。引き出し部分(マッチ製造業界では「抽斗」と書くが僕はすべて「引き出し」表記にしている)には茶色の模様が印刷されているわけではなく、これは経年劣化。
撮影に際し、マッチ棒は手元にあるものを使用した。
“宇部・西区小串通”とは「宇部市道小串通り線」のこと。印刷されているのは誰かが描いた”明幸堂”のファサード。
「38」番という2桁電話番号は今では見慣れない表記で不思議に思う人もいるとは思うが、現在の”明幸堂”の加入者番号「0038」へと引き継がれている。
1965年までに宇部市から「区」は消滅している。
山口県下関市の「下関」駅は1942(昭和17)年に本州と九州を結ぶ「関門トンネル」が開通したため、細江町から竹崎町へ移転し、現在のJR「下関」駅へと至ります。
その旧「下関」駅があった場所近くに「山陽ホテル跡」という記念碑が建っているそうです。
“SANYO HOTEL(山陽ホテル)”の歴史は古く、1902(明治35)年に始まります。
初代「山陽ホテル」は1922(大正11)年に火災で焼失しますが、辰野葛西建築事務所の設計で、1924(大正13)年に鉄筋コンクリート構造の地上3階・地下1階の2代目「山陽ホテル」として再建されます。
ホテルとしての営業は1945年7月に終え、貸事務所を経て、「下関国鉄ビル」となり、2011(平成23)年に建物は惜しまれつつ解体されました。
たるみ燐寸博物館が所蔵する”SANYO HOTEL(山陽ホテル)”のマッチラベルの絵はデザイン化されていますが、絵はがきとして残されている初代「山陽ホテル」の姿と同じであることが確認できました。
1902年から1922年までに日露戦争、第1次世界大戦、シベリア出兵があり、1923年9月1日には相模湾北部を震源とする海溝型地震が発生します。
“かぜ・頭痛・歯痛”、”イタミドメ・ネツサマシ”、”各薬店にあります”、”本舗 深井和商会 下関”
痛みと熱は昔から医療における長い課題なのだと思います。
漢方の医薬品・化粧品の「再春館製薬所」が2010年1月20に東京・高輪にある事務所1階に「高輪 伝統薬房」を開店した際に参加した「全国伝統薬連絡協議会 会員会社」21社のリスト中に「深井薬品工業株式会社(所在地:山口県)」があります。
代表商品は「キクニホン」という解熱鎮痛剤で、今でも山口県を中心に「キクニホン」のホーロー看板を見つけることができるようですが、2015年11月17日現在の「全国伝統薬連絡協議会 会員会社」34社の中に「深井薬品工業株式会社」の名前はありません。
その「深井薬品工業株式会社」の前身がこのマッチラベルにある”深井和商会(フカイカズシヨウカイ)”で当時の主力商品が”日本散(ヒノモトサン)”だったのではないだとうかと僕は考えています。
「深井薬品工業株式会社」の今はわかりませんが、かつて会社のあった場所を「Google ストリートビュー」で確認すると消えかかった「キクニホン本舗」という看板のある2階建ての建物を見つけることができます。
このラベルを手掛けたのは2021年7月25日のblog”マッチ・コレクション/新愛知 – 名古屋西川端町中央マッチ社納 (マッチラベル)“にも登場するかつて名古屋市中区に存在した”西川端町”という場所にあった「中央マッチ社」なのです。
経木のマッチ箱に貼ってあるラベル。
アルファベットの”U”の中に印刷されているのは”石炭 硫安 セメント 機械”の文字。「硫安」とは硫酸アンモニウムのこと。
来年2022年4月に宇部興産株式会社は社名を「UBE株式会社(ゆーびーいーかぶしきがいしゃ、UBE Corporation)」に変更すると発表したのは2021年4月30日のこと。
今後は”これまでの複合事業会社から化学事業を中心に更にグローバルビジネスを展開(第115回定時株主総会参考書類)”することになる。
なお、1942(昭和17)年、当時の4つの会社が合併して設立された「宇部興産株式会社」は1897(明治30)年にその歴史が始まる。