




現在の仙台・一番町はかつての”東一番丁”。”とういち”という愛称で呼ばれていた時代があったのだと思います。
そんな仙台・東一番丁にあった”お茶とお食事(洋菓子と洋食)「幸福堂」”。
“幸福堂”はこの2つ以外にも多くのマッチを広告・宣伝として用いたいようです。
のちに「アムール幸福堂」となったそうですが、現存しません。
“幸福堂”の思い出は誰かの記憶の中に静かに眠っていることでしょう。
ブックマッチの歪みはポケットに入れることが容易だってことの証拠でもある、と僕は思っていて、10本あるうちの7本使った僕ではない誰かはパンツの後ろポケットに入れたまま(前ポケットならもっと大きな曲線とシワが生じるはずだから)、651系車輛(たぶん…)の特急「スーパーひたち」に乗って席についたか、駅のベンチに座ったか、最寄り駅からタクシーに乗った、と考えてみたが、そうではなく、よほど乱暴に紙軸のマッチ棒を引き離す事情があったのかもしれない。
「スーパーひたち」がJR東日本「上野 – 仙台」に登場したのは1989年3月11日。
ということは「昭和」という時代は終わり、時代は「令和」のひとつ前「平成」ということになる。
もう広告としては消費され、ブックマッチとしても7本を消費され、どこの駅で乗ってどこの駅で降りたのかということよりも、僕の知らない誰かは、少なくともポケットから出すことは忘れなかったのだろう、と想像する。
このブックマッチはたくさん作られ、裏面に印刷された6店舗に置いてあったということになりそう。一度に3つくらい持って帰っても注意されることはなかっただろう。
これは宮城・仙台に古くからある「佐々重(ささじゅう)」の広告・宣伝マッチです。現在はシンボルマークもロゴタイプもマッチ箱に印刷されたものと異なります。
会社設立は1937(昭和12)年ですが、創業は「安政(あんせい)」という元号が始まる1854年だそうです。
その前年はマシュー・ペリー率いる艦隊が現在の神奈川県横須賀市東部・浦賀に入港した年であると僕は中学校で教わった記憶があります。
市外局番は印刷されておらず、それに続く市内局番は2桁の「22」という時代に作られたマッチで、もうこれ以上加えることができない完成度のためか、経木製マッチ箱の時代のラベルのデザインをそのまま踏襲したかのようにも思えてきます。
町の移り変わりを記憶しながら仙台味噌を伝えていくことができることを、今後の益々のご発展とともにお祈り申し上げます。