
移動時に利用する電車やバスの冷房が僕には寒い。
立ち止まったり、動くのをやめると – 人前で書類になにかを書き込んだりすると、緊張も加わって -、突然の雨に遭遇したみたいな僕の姿になるけれど、歩くことができそうな距離は歩いてしまおう。
「燐寸を通して、街を記憶する」という試みの中で、取っ掛かりとして、まずweb検索をするのですが、「webで見つからないものは存在していないものである」とは僕は思っていません。
検索の結果が自分の書いたblogの内容だったりすることがありますが、それは残念なことだと思います。
そう、webにすべてが残されているわけではありませんし、残されていてもそれが正しいのかどうかもわかりません。
SNSに投げかけると手掛りをもらえることがあります。
この手掛りは重要ですが、念のために図書館等で資料を探します。
時にはIR(インベスター・リレーションズ)情報や社史を確認します。記念誌も確認するし、新聞広告を調べます。複数のだれかの記憶を頼りに断片化した情報を組み込んでいきます。
問い合わせ窓口がある場合は問い合わせます(たいていに場合、返事はもらえない。SPAMメールとして振り分けられるのか、使用しているメールアドレスのドメインの問題があるのかもしれない)。
とても無駄な作業だ、と僕は時々思います。
非常に効率が悪く、採算性は低い。どうしてこんなことをやっているのだろうということは考えないことにしています。