きのうのできごと

きのうのできごと

先々日、先日と「神戸ノート」のことを書いたのだけれど、裏表紙がどうなっているか写真を載せ忘れました。

“6/3 きのうのできごと
きのう学校かえりみち学校でぐちでひよこがたくさんいましたひよこをたくさんうっていました。
ぼくは家にかえっておかあさん ひよこかってというと おかあさんが「ようちえんいるおとうとをつれてきて」とぼくにたのみまいた。
ぼくはおとうとをつれてきたらひよこかってくれるとたのみました。そしていそいでおとうとをよびにいきました。ぼくは「おとうとにひよこをかおという」とおとうとは「どこで」といいました。ぼくは「学校のでぐちだよ」といいました。おとうともよろこんでいっしょにかいにいきました。
ぼくは、おじさんに「からだのちゃいろいひよこちょうだい」というと「おまけにき色ひよこをあげる」とおじさんがいいました。ぼくはあとでえさをかってかえりました。
おかあさんが「えさはどうやってやるかきいてきなさい」といいました。ぼくは、いやいやながらいきました。
ぼくがおじさんにきくと「みずとまぜてやるんだ」といいました。
ぼくはかえってみずとまぜてやりました。しょうゆのはこにあなをあけてしたにしんぶんがみをひいてやりました。
ぼくは茶色のひよこをもつとふるえていました。おとうとが「こわいよ」といいました。おかあさんが「もたないならかえしておいで」といいました。そしてぼくがきいろのひよこをさわろうとすると口ばしでてをつつきました。
ぼくは「すこしいたい」といいました。だいぶんみていたらけんかをはじめました。茶色のひよこがき色のひよこの足をつつきました。きいろのひよこはにげていきました。ぼくはふたをしめました。ぼくは月よう日かったほんのふろくであそびました。たいようのとうのふろくです。”

とA5サイズの「神戸ノート」の国語帳に僕は書いたのです。

“ひよこの ようすが くわしく おもしろくかけました。”

クラス担任は出産休暇のために一時的に変わります。代わりの教師がコメントを書き添えてくれています。

ひらがなが多いと読みにくいですね。ですから適当な場所で改行しました。
僕の最初に通っていた小学校の地区だけだったのかもしれませんが、昔は学校の門の外で、羽を青色や赤色や紫色に染められたひよこが売られていました。
さて、この2羽のひよこが成長し、ニワトリになって家族と近所の早朝の眠りを妨げたか、多くの卵を産んで家計を助けたかどうかというとそうではなかったのです。

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一等人の目に付く広告は? – 古いマッチラベル

一等人の目に付く広告は? - 古いマッチラベル

“一等人の目に付く広告は?”と印刷された僕の手元にあるマッチラベルですが、その問いの答えはおそらく”マッチ(燐寸)”でしょう。
かつて、マッチはもっとも効果的な広告媒体でした。どこの家庭でもマッチが必需品だった時代がありました。

マッチは「商標マッチ」と「広告マッチ」に大きく分けることができます。細かい点は見逃してくださいね。
前者のラベルにはマッチ会社の登録商標が印刷され、主に海外への輸出用マッチ向けに、後者のラベルには会社や店や商品の販売促進の広告が印刷され、主に国内マッチ向けに作られていました(たぶん…。細かな間違いは柔らかく許してください)。

「商標マッチ」から「広告マッチ」へと転換していくのは「大正」という時代が「昭和」という時代に切り替わる頃です。
ここにあるマッチラベルは”大和燐寸社”がマッチの広告としての価値を伝えるために作ったのだと思います。
この”大和燐寸社”が現在、兵庫県姫路市に本社を置く大和産業株式会社へとつながっていくのかどうかわかりませんでした。いろいろな方々に協力をしていただきましたが、確実ななにかを見つけることができませんでした(僕の推測ではこっそりつながっています)。

“大和燐寸社”の所在地は”神戸市西尻池二丁目”、そして少し破れて見えない部分は”大阪南区西清水町四二”です。
“神戸市西尻池二丁目”とは現在の神戸市長田区西尻池町あたり – 近くに阪神高速道路3号神戸線と31号神戸山手線が交差する湊川ジャンクションがある -、”大阪南区西清水町”とは現在の大阪市中央区心斎橋筋 – 近くにアメリカ村や清水湯という銭湯がある – あたりだと思います。

たるみ燐寸博物館ではキングジムのB5クリアーファイル「ヒクタス±」に台紙を入れてマスキングテープで貼り付けて保存しています。

もうマッチは広告メディアの「トレンド」ではなくなってしまいました。

きょうみた えいが

きょうみた えいが

“きょうみた えいが
ばんぱくのえいがを見てアメリカかんの中で月の石をみました。よるの太ようのとうは、きれいで、あたまの上がひかっていました。日本かんは、五こひっついてわになっていました。オーストラリアかんは、きょうりゅうがふりむいたようでした。シンボルゾーンの下で日本の人やアメリカの人がおどっていました。ソビエトかんもみました。
でんきじどう車もみました。
モノレールもみました。
ゴンドラのロープウェーもみました。みどりかんもみました。
ガスぱびりおんは、なにかがわらっているようです。
ダイダラザウルスは、すごいすぴいどでレールのうえをはしっていました。
ひたちグループかんもみました。
ぼくもはやくいきたいとおもいます”

と僕が作文帳に書いています。

“えいがでばんこくはくかいじょうのようすがよくわかりましたね。なつやすみになるとすぐにいきましょうね”

と担任がコメントを書き添えてくれています。

小学生の時代を神戸市内で過ごしたので、神戸っ子御用達「神戸ノート」を使っていました。
「神戸ノート」とは関西ノート株式会社の学習ノートです。
「作文帳」はなかったと思います。A5サイズの「国語帳」に「作文帳」という紙が貼ってあります。
神戸市立小学校長会選定とあって、表紙写真に使われているのは「兵庫県庁」です。

捨ててしまってもかまわないこの古い作文帳を僕が捨てていない理由はきちんとあって、その役割を終えたとき、処分します。子供たちへ引き継がれるわけではありません。

さて、1970年に大阪・千里が丘で開催された博覧会。テーマは「人類の進歩と調和」でした。僕が観たのはその広告映画なんだと思います。
2025年の国際博覧会の大阪誘致はどこまで進んでいるのでしょう。

「WiLL」ブランドのテープカッター(“WiLL STATIONERY ACTIC シリーズ”)

 

「WiLL」ブランドのテープカッター("WiLL STATIONERY ACTIC シリーズ") -1-

「WiLL」ブランドのテープカッター("WiLL STATIONERY ACTIC シリーズ") -2-

“WiLL STATIONERY ACTIC シリーズ”の生産はもう終了しているんだと思います。コクヨから販売されていました。

「テープカッター大巻用」は僕の子どもたちが使っていて、僕は「テープカッターミニ」を使っています。どちらも部分的にオレンジ色が用いられています。

「大巻用」は固定しても使えるような仕組みがあるのだけど、僕はそういう使い方をしたことはないですね。
「ミニ」は使わないときや持ち運びの際にほこりが付着しないように、カバー付きで、直線と曲線を併せ持ったテープカッターです。
思い返してみると、僕がこの「ミニ」をカバンやペンケースに入れて持ち歩くことはありませんでした。
外出時に「あーッ! 大切なノート破いちゃった」「じゃあ、これで貼っちゃおう」という会話が成立したこともないです。
テープカッターの出番はボールポイント・ペンのそれに比べてそれほど頻繁ではなんですよね。

でも、ねっ、かわいいでしょ?
僕のお気に入りの文房具のひとつなんです。

ジャン=ルイ・フルニエ/どこ行くの、パパ?

ジャン=ルイ・フルニエ/どこ行くの、パパ?

“僕はもう、どこに行くのかよくわからないんだよ、トマ。
行きあたりばったりだな。まっすぐ壁に突っ込むかな。(ジャン=ルイ・フルニエ「どこ行くの、パパ?」、翻訳: 河野万里子、2011年、白水社)”

ジャン=ルイ・フルニエは自伝的小説「どこ行くの、パパ?」のかなり前のほうのページでそのように書いています。

うん、僕もそう思うのです。
やっと読み終えました。フランス文化に馴染みのないであろう読み手のために訳者のつけた短い注釈があるのだけれど、「ある」と助かる部分と「なく」てもいいと思う部分があります。
多くの訳注をたいてい調べ直しながら読んだので、読み終えるのに時間がかかってしまいました。
ここに書かれているシニカルでアイロニカルでブラックユーモア的を要素をより深く読み取るにはフランス文化を知らなければならないのです。
ということで、僕にも欠けている部分が多いことを認めます。

そして今日2つめの夜の始まりに、僕が居間に設置したサウンドシステムでアラン・パーソンズ・プロジェクトの”Instrumental Works”を聴いていると、母がいきなりテレビの電源を入れてテレビ番組を見始めます。やれやれ、やれやれ。

* blog内、全て敬称略です。