
環境問題の話ではありません。
「真実」というものに定義はないと思っていますが、「それにより近い事実」というものがあるとすればそれはいったいどんなものなのでしょうね。
私設で弱小の博物館だけれども「燐寸を通して、街を記憶する」という試みの中で、新聞記事やwebに残された記録を含むいくつもの媒体を紐解き、問い合わせたメールの返信内容や伺った話と照らし合わせていくと、「街」にとって隠しておきたい「不都合」な事情が僕を待ち伏せていていることに気がつくことがあります。
「燐寸を通して、街を記憶する」ことに関してはできるだけ誰も不快にさせたくないように心掛けているつもりですが、既に好ましくないと思っている方には申し訳ないと思っています。
その他の日々の記録になにか意味があるのかどうか、僕にはわかりません。