
三宮神社境内にあった喫茶「S.O.S.(ヱス・オー・ヱス)」。
港町であった神戸・三宮において、この”S.O.S.”が遭難信号であるモールス符号を意味していたわけではないと思う。
俗説としての”save our souls”という意味が転じた店名かもしれない。広告という意味では目立つ方がよいというそれだけの理由なのかもしれない。
さて、今日を含め過去にいくつか三宮神社境内に露店(夜店)、映画館、寄席、喫茶店やカフェを含めた小さな飲食店があったことを示すマッチ箱やマッチラベルのことを書いたが、それでは神社に境内になぜ、そのような場があったのか。
「神戸歴史トリップ:新・中央区歴史物語(改訂版)、著:道谷卓、2005年、出版:神戸市中央区役所」に”また、神戸開港後は、境内から湧き出る清水を神戸に入港する船が汲んでいったという”、「三宮センター街三十年史(1978年、三宮センター街連合会)」に収録されている「明治、大正の三宮神社と境内の賑わい」に”…古来三宮神社境内からコンコンと真清水が湧き、代々宮司さんが世襲で清水姓を名乗っておられること等、想い出は尽きるところを知らない”とある。
外国人居留地が近かったという理由だけではなく、境内の湧き水によるところが大きかったのではないか、と僕は勝手に思っている。