
山口県下関市の「下関」駅は1942(昭和17)年に本州と九州を結ぶ「関門トンネル」が開通したため、細江町から竹崎町へ移転し、現在のJR「下関」駅へと至ります。
その旧「下関」駅があった場所近くに「山陽ホテル跡」という記念碑が建っているそうです。
“SANYO HOTEL(山陽ホテル)”の歴史は古く、1902(明治35)年に始まります。
初代「山陽ホテル」は1922(大正11)年に火災で焼失しますが、辰野葛西建築事務所の設計で、1924(大正13)年に鉄筋コンクリート構造の地上3階・地下1階の2代目「山陽ホテル」として再建されます。
ホテルとしての営業は1945年7月に終え、貸事務所を経て、「下関国鉄ビル」となり、2011(平成23)年に建物は惜しまれつつ解体されました。
たるみ燐寸博物館が所蔵する”SANYO HOTEL(山陽ホテル)”のマッチラベルの絵はデザイン化されていますが、絵はがきとして残されている初代「山陽ホテル」の姿と同じであることが確認できました。
1902年から1922年までに日露戦争、第1次世界大戦、シベリア出兵があり、1923年9月1日には相模湾北部を震源とする海溝型地震が発生します。