
“新聞は浮世の態の写真なり 名古屋新聞 ナゴヤ共同新聞店”
名古屋市中区にある愛知図書館公式サイトに「特徴のある資料の紹介」というページがあり、「地域の歴史を物語る貴重な資料」として”あいちの新聞”という資料が公開されています。
その資料をもとに推測すると、たるみ燐寸博物館が所蔵する”名古屋新聞”と印刷されたマッチラベルは愛知県で一番最初に発行された「名古屋新聞」のことではなく、1906(明治39)年に創刊された「名古屋新聞社」の日刊紙のことだと思います。
第2次世界大戦の中、日本では経済統制(だけではないが…)のひとつとして1941年12月に「新聞共同販売制度」が施行され、新聞社の統合が行われ、新聞各社は専属の販売店を制限されます。
「名古屋新聞社」は1942(昭和17)年8月31日に消滅しました。
マッチラベルにある”ナゴヤ共同販売店”の”共同販売店”とはその「新聞共同販売制度」を示しているはずです(“専売店”の文字もあるので過渡期かもしれない)。
「新聞共同販売制度」が崩れ、専売制が復活するには戦後の1953(昭和28)年2月まで待たなければならなかったという資料も存在しますが、そのあたりは戦前・戦中・戦後の新聞研究を進めている方々にお任せします。