“われわれはモノの時代に生きている。つまり、モノのリズムに合わせて、モノの絶えざる連続に従って生きているのだ、今日、われわれはモノが生まれ完成して死滅する過程を目にしているが、これまでのいかなる文明の場合も、人間の世代の後に生き残ったのはモノの方であり、はるかに長い寿命をもつ道具や記念建造物の方であった(ジャン・ボードリヤール「消費社会の神話と構造」、翻訳: 今村仁司・塚原史、 1979年、紀伊國屋書店)”
日本においては、”はるかに長い寿命をもつ”はずの”記念建造物”は取り壊される傾向にあって、とても残念に思います。
つくるのも壊すのも簡単なのでしょう。維持していくほうが大変なのはわかります。
誰かにとって不便なモノは他の誰かにとってはいたって普通で、安心のできるモノであるのかもしれません。
「安全」のもつ意味は時代の中で変化しますが、「安全」は必要です。でも今なにが「安全」なのか僕にはわかりません。
そう思うのはたぶん僕が時代の変化についていけない年齢になったのでしょう。