




僕は「珈琲柘榴(こーひー・ざくろ)」を知っています。行ったことがあります。マッチ箱に”難波本店、難波店、天満橋店、谷町店”とありますから、そのどこかなのです。
そのときにもらったマッチではありません(大阪市内の電話局番4桁化が実施されたのは1998年12月31日なので、それよりも前ということになるから、大学生の頃かもしれない)。譲り受けたマッチ箱の中に見つけました。
僕の勤務地が東京本社から大阪支社へ変わった1990年以降のどこかで、再び「柘榴」を訪れることになります。
大阪・本町と堺筋本町の中間あたり、船場センタービルの南側に「久太郎町」という名前の場所あって、その区画に建つビルの中に大阪支社がありました。谷町4丁目まで歩いて行ける距離です。
「珈琲柘榴」の「谷町店」としての時代だったのか、現在のパスタ処となった「柘榴」だったのかは定かではありません。
さて、おそらく皆さんが「昼食をとる」時間は12時から13時だと僕は勝手に思っているのですが、その時間は僕にとって貴重なものでした。「昼飯を食う」意味で非常に大切だったというわけではありません。勤務時間内で、電話でユーザーにコンピューターの再起動とその後の確認で依頼できる1時間だったからです。
そんな電話が終わってから、みんなから遅れて食事に出かけます。1時間では行って帰ってくることができないほど、遠くまで歩いて行くこともありました。
そして戻ってくると伝言メモが残っているのです。「お電話くださいとのことです」と。
「柘榴」のタイポグラフィーが素敵です。マッチ箱は柘榴の果実ような深い赤色。引き出しは黒色。そしてその中に赤い頭薬の黒い軸木のマッチ棒が収まっています。
船場センタービルは外観が大きく変わりましたね。谷町4丁目はどんなふうに変わりましたか。末長く愛されるお店であることをお祈りいたします。