


1990年か1991年のことだったと思う。
地下鉄「西葛西」駅からJR「大井町」駅までどのような経路で往復していたのか僕はもう忘れてしまった。
僕が1986年に入社した会社は富士通の協力会社でもあったため、富士通とNTT共同で進める新プロジェクトのために僕を含める2名が大井町にある富士通「大井町ビル」に派遣された。どういう経緯で僕たちが選ばれたのか定かではないが、僕にとってはリハビリテーションの時期だった。
1か月か2か月間は書庫から気になったコンピュータのマニュアルを取り出してきて読んでは片付けて帰るという日々だった。時々、富士通から別件の仕事を依頼されたが、ウトウトとする時間も多かったし、長時間席を外していても問題がないくらいプロジェクトの進行は遅れ気味だったのだと思う。
そうするうちに、近県が多かったと思うが、遠くは北海道、新潟から派遣された富士通の協力会社のプログラマや上流工程に関わるエンジニア2名以上が「大井町ビル」に集まって、新プロジェクトが始動した。
JR「大井町」駅に「阪急ホテル」だったか「ホテル阪急」だったか「阪急イン」だったか、「阪急」という文字を見つけて不思議に感じたことを覚えている。現在の「アワーズイン阪急」だ。
駅ビル「アトレ大井町」はまだ建設中だった。
東京都では1988(昭和63)年から一部のエリアで市内局番の4桁化が進められ、東京23区内の市内局番が3桁から4桁へ変更されたのは1991(平成3)年ということは僕が「大井町」に通っていた何か月間に”大井町駅前阪急向側”にあった喫茶・音楽「ふじやま(FUJIYAMA)」を見かけたことがあるのかもしれない。訪れたこともあるのかもしれない。すでになかったのかもしれない。
マッチ箱に描かれているのは富士山。「ふじさん」とも「ふじやま」ともいう。
今日の富士山はどんな姿をしているのだろう。