


日本とブラジル最大の都市サンパウロ(São Paulo)とのつながりを語るとき、1908(明治41)年に始まった日本人のブラジル移住を避けるわけにはいきませんが、その部分は端折ってしまおう。ぴょーん、ピョン。
コーヒー豆における神戸とブラジルの関係は「神戸とコーヒー 港からはじまる物語(甘苦社・田中慶一、2017年、神戸新聞総合出版センター)」に書かれています。
さて、たるみ燐寸博物館が所蔵する「COFFEE DE SAO PAULO/SAO PAULO COFFEE CPMPANY」のマッチ箱にはゆとりがないくらいに薄い青色の頭薬のマッチ棒が詰め込まれていた。当時のままなのか、誰かが入れ替えたのかそれはわからない。箱は経木で、引き出し部分は紙製。
箱を壊さないように引き出すのにちょっと手間取った。
マッチラベルには演奏するふたりが描かれ、そこで使われた色が”COFFEE DE SAO PAULO”という文字に用いられている。奏でているのはラテン音楽だろう。
僕がマッチ箱を振ってもそこからはラテン音楽は流れてこない。