
“「朝から雨が降り続いているからかもしれない。冬が近づいているせいかもしれない、渡り鳥が姿を見せ始めたからかもしれない。茸が豊作だからかもしれない。水がコップにまだ十六分の一も残っているからかもしれない。君の草色のセーターの胸のかたちが刺激的だったからかもしれない」(村上春樹「騎士団長殺し 第1部 遷ろうメタファー編」、2017年、新潮社)”
拙著「マッチ・ラベル 1950s-70s グラフィックス(2019年、グラフィック社)」の編集段階では、ほぼすべてのマッチ箱にキャプションを入れる予定でした。
「”かもしれない”が多すぎます。曖昧な表現は避けてください。言い切ってください。わからなければ調べてください。読み手に失礼です」と編集担当の方から提案があって(表現は少しばかり違ってるかもしれない)、その理由も納得できて、できるだけ”かもしれない”を使わないように試みました。
編集担当の方にもお手伝いいただき、いろいろと調べていただきましたが、どうしてもキャプションとして最適な表現が見つからないこともあって、すべてにマッチ箱の画像にキャプションが入っているわけでわありません。そして「かもしれない」が全くないわけでもありません。
ブックデザインを手掛けた根本綾子さん、編集担当の西村依莉さん、山本尚子さん、ありがとうございます。
「小野さんといっしょに仕事をするのはもう嫌だ」と思っていらっしゃるかもしれないのですが、今後とも、変わらぬお付き合いをどうぞよろしくお願いいたします。
そして、本書を手にしたすべての方に感謝申し上げます。