



かつて神戸市灘区にあったコーヒーショップ「ラムール(L’amour)」のマッチ箱。
たるみマッチ博物館でダンボール額に入れて展示していましたが、側薬部分の劣化が進んできています。
灘区の市内局番「85」と2桁時代は1971年頃に終わったのだと思います。
僕はこの時代の灘区のことは「王子動物園」以外、ほとんど知りません。
マッチ箱の背の部分に印刷されている”六甲桜口バス停前”とは現在の阪神バスのバス停「灘区役所前(八幡桜口)」なのかもしれません。
JR「六甲道」駅の南、阪神電鉄「新在家」駅の北に「桜口町」という町名が広がっています。
阪神淡路大震災でJR「六甲道」駅が倒壊したため、三宮-大阪間を鉄道とバスを乗り継ぎ、崩れた家屋やビルや瓦礫となった、埃っぽい街の中を、同じように通勤する多くの人々とともに列をなし、日々変わっていく迂回路を縫うように歩き、通勤したことを(記憶は薄らいだものの)僕は忘れることができません。