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雑文

注意の周囲、中位の秋意。

注意の周囲、中位の秋意。

“つまり我々の人生においては、現実と非現実との境目がうまくつかめなくなってしまうことが往々にしてある、ということです。その境目はどうやら常に行ったり来たりしているように見えます。その日の気分次第で勝手に移動する国境線のように。その動きによほど注意していなくてはいけない。そうしないと自分が今どちら側にいるのかがわからなくなってしまいます(村上春樹「騎士団長殺し 第1部 顕れるイデア編」、2017年、新潮社 )”

僕はずいぶんと昔から、現実と非現実との境界線が曖昧で、年を重ね、過去から時間を隔てるにつれ、両者は距離を縮め、どちらの側にいてもそこに存在する意味の違いを見いだすことが困難に思うときがある。
それは作家によって創り出された小説の登場人物が自ら思考することに似ている。

あるいは既に僕の肉体は機能を失い、壮大な物語の夢を見続けているのではないかと思うことがある。
僕は「存在」しているが、同時に「存在」もしない。

そんな内容のことをずっとblogに書いてきた。
僕にそう思わせるのは「嘘つき夜」のせいかもしれない。

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