

岩谷産業株式会社の公式サイトで会社の沿革を確認すると”1947(昭和22)年 大阪市東区本町3丁目に本社社屋建設”、”1953(昭和28)年 マルヰプロパンを家庭用に販売開始”とあるので、そのころに作られたマッチのラベルだと思うのです。
僕が生まれ、幼少期を過ごした家には都市ガスの「引き込み」はありませんでした。 借地に建てられた家だったからかもしれません。
そばの公道にガス本管はありましたが、本管は家屋前の道路にはありませんでした。
そんなわけで、僕は大きなプロパンガスボンベが斜めにされ、底の円形部分を利用して回転させられながら、金属の重い音とともに運ばれていくのを部屋の窓から眺めたものです。
「マルヰプロパン」は1964年の東京オリンピックの際に、聖火の熱源として採用されたそうです。
しかし、僕が子供のころに暮らした家で、ガス給湯によって風呂を沸かすことができるようになるにはまだまだ時間が必要だったのです。