


“OLYMPIC”はかつて「梅田新道(梅新)」にあった有名な高級ステーキの店。
「オリンピック」ではなく、「オリムピック」と読みます。
この店がランチに出していたのがセイロンカレーだったそうです。
“OLYMPIC”の”O”が青色で描かれた面に”STEAK HOUSE”、赤色で描かれた面に”CEYLON CURRY”と印刷されているのはそういう理由なんですね。
マッチの引き出し部分はきっとセイロン(スリランカ)・スパイスの色に合わせて、黄色が使われたのでしょう。
“汝のテキを愛せよ テキの店”
そうか、もう「テキの店」はないんですね。
現在、「トアロード」より一筋東側に「神戸三宮高速バス待合所PMPTビル」が建つ南北の通りがあります。
阪急神戸高速線の北側を東西に並走する通りが「サンセット通り」です。
その2つの通りが交差する場所に「テキの店」がありました。創業は1950年。
ステーキだけでなく、他に洋食のメニューもあったように思います。
元々、「テキの店」という店名の後ろに「ボン・ジョルノ」はなかった、というのが僕の記憶だったので、いつの時代にか「ボン・ジョルノ」がついて「テキの店 ボン・ジョルノ」という店名となったのだと思っていました。
その「いつの時代にか」というのが阪神淡路大震災だったことを知りました。
店は全壊し、再建・営業再開に当たって「テキの店 ボン・ジョルノ」としたようです。
ナイフとフォークが牛の白黒模様を創り出し、上向きのフォークをカタカナの「キ」の中に埋め込んだデザインは2011年9月30日の閉業まで使われました。
高度経済成長期から神戸の街を支え続けてくれたお店です。
ありがとうございます。
「キヨシマ屋」は1907年、神戸・元町2丁目で創業し、1995年の阪神淡路大震災を機に店をたたみ、ビルにその名前が残っています。
マッチ箱には”お正月・三月・五月・御節句人形”、”子供部屋に ミゼットハウス”と印刷されています。
“ミゼットハウス”とは大和ハウス工業が1959年に開発した商品で、庭などに子供たちの独立した勉強部屋を短時間で作ることが可能で、後のプレハブ住宅の原点となったそうです。
さて、神戸には「明治」という時代から伝わるからくり人形「神戸人形」という 伝統工芸品(民芸品)があります。
「神戸人形」は途切れ途切れの歴史を歩み、神戸・元町の「キヨシマ屋」などが製作・販売を行い、伝承されてきました。
現在は神戸・灘にある「神戸人形 ウズモリ屋」がその伝統を引き継いでいます。
「西武百貨店船橋店」の地階にあったのが「三田浜楽園和食コーナー」。
「西武百貨店船橋店」は1967年9月に開業、2018年2月に営業を終了しています。
1920年代後半、千葉県船橋市に割烹旅館「三田浜楽園」ができ、後に遊園地・野球場・ビリヤード・海水プールなどを有した、今でいう広大な敷地の総合リゾート施設・テーマパークに発展し、東京近郊の観光地として賑わったそうです。
行楽地としての「三田浜楽園」の再開発の時期を特定することはできませんでしたが、割烹旅館としての「三田浜楽園」は2006年3月に閉館し、高層マンションになったそうです。
東京勤務時代、東京都江戸川区にあったワンルームマンション・タイプの社員寮で生活していました。
「西武百貨店船橋店」の記憶はほとんどなく、割烹旅館「三田浜楽園」のことは今回、調べてはじめて知りました。
僕の「船橋」の思い出は 「ららぽーと船橋(現・ららぽーとTOKYO-BAY)」にパイン材を組み合わせた大きな棚を買いに行ったことくらいなのだと思います。