子どもの頃、擦ったマッチの火を新聞紙や薪に移して風呂を沸かすのは家族の中で僕の担当だった。
「蛍光灯」と母は僕に言った。
椅子や脚立にのって、蛍光灯を交換するのは家族の中で僕の受け持ちだったことは確かだったけれど、母の言う「蛍光灯」は別の意味だった。
父はもっと直接的表現を使ったと思う。
ふたりとも僕がなにがわからないかを探り出すことができない人たちだった。
静かに降る雨の日にそんなことを思い出す。
今でもいろんな物事に折り合いをつけるのに時間がかかるスロースターターであることにかわりない。