マッチ箱に「描かれている」というのか「印刷されている」イラストを見て、誰が手掛けたのかとわかる人ってスゴいなって思う。
“TARO”のサインがなければ岡本太郎が手掛けたと僕は気がつかなかったかもしれない。
それでは長野県と岡本太郎はどのようなつながりがあるのだろう。
「長野県軽井沢会館」と「野尻湖ホテル」については省略。
1890(明治23)年に開業した「犀北館(のちに長野ホテル犀北館と改称、現・THE SAIHOKUKAN HOTEL)」の「ホテルストーリー」の中に、岡本太郎の名前を見つけた。
岡本太郎はまだ「EXPO’70」も始まらない1965(昭和40)年に「犀北館」を訪れ、以降25年間、定期的に通ったようだ。
マッチ箱に印刷された絵のタイトルもわからないし、マッチ箱のサイズで絵を描いたのか、実物はもっと大きくそれを縮小して印刷したのかも定かではない。
* blog内、全て敬称略です。