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復活した疑問と続く符号

復活した疑問と続く符号

僕の小学校時代もそうだったけれど、僕の子供たちが通う小学校で、乳酸菌飲料の小さな容器やティシューペーパーの空き箱やトイレットペーパーの芯や古いハンカチなどが急に – しかも前日ぐらいに告げられる – ことがあるわけだけれど、 僕も僕の子供たちもたまたま神戸市内の小学校に「通った」「通う」という共通点だけで、こういうことはずっと変わらないことなんだろうか?
昔はもっと困ったし、今でも困る。昔ほどではないかもしれないけれど – 24時間コンビニエンスストアは開いているし、スーパーマーケットの営業時間も長くなった -、そうすぐに用意できるとは思わないのだけれど。

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マッチ箱/マッチラベル モノ 雑文

マッチ・コレクション/花王石鹸 (マッチラベル)

マッチ・コレクション/花王石鹸 (マッチラベル)

まだ、右側を向いた「月の顔」だった時代に作られたマッチラベルだと僕は思う。
花王石鹸の歴史は「花王グループ」の公式サイトに詳しく記載されているのでピョンピョーンと飛ばしてしまおう。

1890(明治23)年の洋小間物商「長瀬商店」に始まる「花王石鹸」の歴史の中で、1931(昭和6)年ごろの石鹸パッケージにこれら2枚のマッチラベルに印刷されている「花王石鹸」と同じタイポグラフィーを見つけることができた。
ふりがなもひらがなの「かおうせっけん」ではなくカタカナで「カオーセッケン」だから、たぶんその時代に作られたマッチに貼ってあったんだと思う。

花王の「月の顔」は1943(昭和18)年に左向きに変わるのだけれど、それは満月へと向かう左向きという「験担ぎ」説が一般的なのかな?

横文字を右から左へ字をならべる – 「右書き」というらしい – 駅名を左から右に字を並べて読むという方法 – 「左書き」というらしい – に統一すると文部省(現在の文部科学省)・国語審議会が具申したのが1942(昭和17)年。
右書きで「花王石鹸」と書いていた時代 – つまり表記上では「鹸石王花」 – を左から右へ読み書きする左書きの時代への転換期に「横文字の左書き統一のお知らせ」の代わりに顔の向きも合わせて変えちゃった、などと僕は勝手に想像する。

それはさておき、このマッチラベルに印刷されているイラストが”すんばらしいー”。
洗濯用の”洗いせっけん”ではなく、こんな顔の汚れは”顔せっけん = 花王石鹸を、カラダの汚れも花王石鹸を使ってさっぱりしましょう、ってくらいの意味のイラストなんだと思う。
描かれている人たちが楽しそうだね。

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そのエレベーターはいつも停止しているはずだ。

そのエレベーターはいつも停止しているはずだ。

目指す部屋は地下の2階にあった。扉は移動する。そして部屋も移動する。意図的に、そして慎重に隠されている。
僕は真新しいレバータイプのドアノブに手をかけて、廊下を見渡し、そこに誰もいないことを確認した。
扉を開くと窓も家具も装飾もない部屋に棒状のツイスト・ドーナツを食べながら羊男が立っていた。
「問題は常にある。謎は常にある。わかっているかい? だからここ場所ではない。あんたの目的の場所は移動したってことだよ。壊れないようにね」と羊男が言った。「32階へ行けばわかる」
32階? と僕は聞き返した。「このビルに32階はない。地下2階、地上5階」
1階のエレベーター・ホールからエレベーターに乗る、と羊男は言った。「そのエレベーターはいつもは停止している。あんたがエレベーターのドア横のボタンを押すとエレベーターが動き出す。ひとりだけで乗るように注意するんだ。他の誰も乗せてはいけない。乗ったら32階のボタンを押す。それだけのことだ」
僕は羊男のいる部屋の扉を閉めると振り返ることなく、1階のエレベーター・ホールを目指して歩き出した。

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反応中間体

反応中間体

傘を持たずに外に出たら、口元を殴られたときに似た鋭い痛みが降り始めた。
僕は傘を投げ捨て、目的の建物の中に走って入る。そしていくつもの扉を次々と開いて、何もない部屋を探すのだけれど、それはどこにも見つからなかった。

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公明選挙と1957年の神戸市長選

公明選挙と1957年の神戸市長選 (1)

公明選挙と1957年の神戸市長選 (2)

公明選挙と1957年の神戸市長選 (3)

1952(昭和27)年に公明選挙運動が始まりました。公明党という政党が結成されたので「公明選挙」という名称を使うことができなくなり、1965年ごろに「明るく正しい選挙」となり、現在は「明るい選挙」と変わりました。

詳しくは「公益財団法人明るい選挙推進協会」の公式サイトを参照してくださいね。

たるみ燐寸博物館にある経木のマッチは過去の神戸市長選の広告・宣伝に使われたのだと思います。
「11月15日 市長選」、「市と幸とわが夢を盛るこの一票」、「神戸市選挙管理委員会 神戸市区選挙管理委員会」と「公明選挙」をもとにして、いつの神戸市長選か見つけることは簡単だと思っていました。
11月15日の日曜日の神戸市長選、と複雑な要素はどこにもない、と。
しかし調べても1952年から1965年ごろまでに11月15日が日曜日だったのは1953(昭和28)年と1959(昭和34)年と1964(昭和39)年11月15日。
その3つの中で神戸市長選があったのは1953(昭和28)年なのだけれど、投票日は11月20日金曜日。

そこであることに気がつきます。地方選挙は平日でもかまわないんですよね。地方選挙は各自治体の選挙管理委員会が投票日を決定するようです。
そうすると1957(昭和32)年11月15日の神戸市長選が該当します。金曜日ですね。

「市と幸とわが夢を盛るこの一票」というのはその年の神戸市長選挙の標語だと思います。

西大寺市選挙管理委員会 – 西大寺市は1969(昭和44)年に岡山市に編入された – が選挙のために作ったと思われるマッチラベルにも「公明選挙」という言葉が使われていました。

2017年10月22日は神戸市長選挙です。