「明日では遅すぎる」というアルバイトサロンは1950年代半ばに関西資本によって銀座8丁目につくられた店だったそうです。
“アルサロ喫茶の始祖”であったのかどうか僕にはわかりませんが – そういうことはアルバイトサロンを調査・研究しているかたにお任せします -、経木のマッチに貼られたラベルにはそのように書いてあります。
僕は1952年に日本で公開されたイタリア映画「明日では遅すぎる(原題:Domani e Troppo Tardi)」を観たことはありませんが、その映画のタイトルを店名に用いたのかもしれませんね。沢田研二の1975年5月21発売のシングル「巴里にひとり」のB面に収録されていた「明日では遅すぎる」ではないと思います。
経木のマッチ箱の側面には「天国裏」とあります。
「天国」については別に機会に触れることにしましょう。
裏面は「ASUDEWA OSOSUGIRU」と印刷してあり、この面には少しメモを書くことができるスペースが設けられています。
小さい文字を書くのが得意ではない僕には充分ではない大きさです。この大きさにメモ書きをするとあとで読み返しても何を書いたのか悩まなくてはならないでしょう。
マッチラベル表面のイラストがどのような意味を持つのかはわかりませんが、目を引くことは確かですね。たるみ燐寸博物館として譲り受けたこのマッチ箱のひとつです。
冷房を入れる必要がないほど、涼しい今日の垂水。2017年8月の最終日となりましたね。