須磨の海に「ベルトコンベヤ」があった頃

須磨の海に「ベルトコンベヤ」があった頃
blogの写真はおそらく1960年代の終わりか1970年代の初め頃に父が須磨浦ロープウェイから撮ったもので、「ベルトコンベヤ」がある須磨海岸を見て取ることができる。
そこにはまだ、海にせり出す突堤もないく、「神戸市立須磨海づり公園」もない。

ポートアイランドの造成に合わせて「山、海へ行く」とのキャッチフレーズで神戸市の開発行政を象徴した「須磨ベルトコンベヤ」。
1964年1月16日に稼動を開始した土砂搬送用ベルトコンベヤは2005年9月12日に稼働を終え、その後、撤去された。

山を削った土取跡地に7つの大型団地が生まれ、その土砂はこの「ベルトコンベヤ」で須磨の海岸線まで運ばれ、「プッシャーバージ(押船土運船)」に積み替えられ、ポートアイランド、六甲アイランド、ポートアイランド(第2期)、神戸空港等の建設のために、埋立地まで海上運搬された。

このベルトコンベヤは幅2m、速度240m/分から320m/分で1時間に約7,500トンの土砂を運搬した。
ベルトコンベヤは半径240mの範囲で扇状に移動可能で、先端に設けられたスプレッダーで土砂を撒くことが可能だったことを手元の資料を読んで、「ああ、そうだったな」と僕は思い出す。

1976年4月17日に「神戸市立須磨海づり公園」が開園したので、須磨海岸には「須磨ベルトコンベヤ」と「神戸市立須磨海づり公園」の2つを同時に見ることができる期間があったわけだけれど、「須磨ベルトコンベヤ」が撤去された今となっては、「須磨ベルトコンベヤ」と「神戸市立須磨海づり公園」に位置関係が僕はどうもうまく思い出せない。

幼少期は家族と共に山陽電鉄で「西舞子」駅から「須磨浦公園」駅や「須磨」駅や「須磨寺」駅へ、高校を卒業後、大学へ通うためにJR神戸線で「垂水」駅から「三宮」駅まで行く際に(またはその逆)、幾度となく、目にしていた「ベルトコンベヤ」であるにもかかわらず、位置関係が記憶に収まっていない。

僕にとっては「須磨ベルトコンベヤ」はもう当たり前のようにそこにあったのだ。

調べてみると、「ベルトコンベヤ」は「神戸市立須磨海づり公園」より、東に位置していた。
記憶とは曖昧なものだ。

須磨の海岸線にかつて「須磨ベルトコンベヤ」があったことを覚えておいて欲しい。
なぜ、神戸市は山を削って、その土砂を海に運んだのか?
今や神戸の象徴ともなったポートアイランド、六甲アイランド、神戸空港がいかにして出来上がったのか、そして「須磨ベルトコンベヤ」の建設・運用・管理にあたった人々のことを、忘れないために、今日、このblogに書いておく。

* この「ベルトコンベヤ」という表記は「ベルトコンベア」の間違いではなく、建設当時に神戸市に提出された一連の資料で「ベルトコンベヤ」と表記されているからです。「須磨ベルトコンベヤ」は通称「ベルコンザウルス」、略称「ベルコン」だったそうです。僕は幼少の頃、「ベルコン」と呼んでいました。

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