かつて垂水に住んでいた人、今も住んでいる人、かつてJR垂水駅や山陽電鉄垂水駅を利用していた人、現在も利用している人、兵庫県立星陵高等学校、兵庫県立神戸商業高等学校、そして今も名称を道路に「商大筋」として名を残す旧神戸商科大学に通っていた人、その他、垂水という街に関心があった人、興味がある人に、このマッチラベル(マッチ箱)を見て、懐かしさを感じ、その時代を思い出してもらいたい。
この4つのマッチラベルに印刷されている飲食店のうち、今なお垂水で場所を変えることなく存在するのは鮓(寿司)の「増田屋」だけである。
Cafe Saloon(カフェサルーン)「雅(みやび)」は垂水駅前「ウエステ垂水2F」にありますが、珈琲館「雅(みやび)」は兵庫県立星陵高等学校と旧神戸商科大学の北側にあった駐車スペースを持つ喫茶店で、高丸インターチェンジの近くにかつて存在していた。
「たるせん」は山陽電鉄垂水駅・JR垂水駅の高架下にあった「垂水ショッピングセンター」のことで、2004年に山陽電鉄高架下側を「MOLTI(モルティ)たるみ」、2005年にJR垂水駅高架下側を「ビエント垂水」、2012年にJR垂水駅高架下側を「PLICO(プリコ)垂水」とリニューアルしている。
その「たるせん」内に店を構えていたのが、「UCC上島コーヒー・たるみ店」と「珈琲 OMOITSUKI/喫茶 思いつき」である。
前者はバー・カウンターのような店構えで軽食を提供する上島コーヒーの店で、「たるせん」内では東館に、後者は比較的大きな喫茶店で西館に位置していた。
既に書いたが「たるせん」は山陽電鉄側を「MOLTI(モルティ)たるみ」、JR側を「PLICO(プリコ)垂水」として2分され、共存している。
と、ここまで書き進んで、まるで報告書のような書き方になっていることに気がつき、本来の思惑と大きく異なってしまったことと、もはや訂正するだけの気力もなくなって、ため息混じりの僕がいるのだけれど、このマッチラベルを見てくれた人に「そうそう、ねえ、覚えてるかい?」的な意味合いで捉えてもらえれば嬉しいのだけれど…。
飲食店の広告マッチ箱やそのラベルの価値はあまり高くないのだけれど(あくまで、それは僕の私見です)、時としてその街の移り変わりを教えてくれるように思う。
マッチ箱を入手した年を僕は側面にあるヤスリ状の摩擦面を切り取り、裏側にメモしているのだけれど、それによると「増田屋」が1974年、「珈琲館 雅(みやび)」が1981年、「たるせん/UCC上島コーヒー」が1974年、「珈琲 OMOITSUKI/喫茶 思いつき」が1975年となっていることを付け加えておきますね。
「「増田屋」「雅」「たるせん・UCC上島コーヒー」「思いつき」/ノスタルジア(垂水・その1)」への2件の返信
先程知り合いと垂水の話をメールでしていて、現在たるせんはどうなっているかなといろいろ見て、結構がっかりしている東京在住です。でも時代の流れだし、どんどんきれいになって行くのは住人にとっては良いことですしね。検索で「たるせん 思いつき」と入れた私(笑)。あのイラストが潜在意識に焼き付いていて。そんな私が大人になって今はイラストレーターなんです(爆)。
上島コーヒーのカウンター、70年代らしくてめっちゃ雰囲気ありましたね!
ありがとうございます!!!
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ミノティカ様
blog「空に補助線を…。」へのコメント、ありがとうございます。
ミノティカ様はグラフィック・デザイナーさんなんですね。
ミノティカ様の「六角堂霧笛」と木版画「街と人」を拝見いたしまいた。素敵ですね。
さて、「たるせん(名称は変わりましたが、名称が定着せず」、未だに「たるせん」が似合う高架下ですが…)にかつてあった「思いつき」。
「思いつき」は垂水にしかないのではありません。そのあたりはblogの「マッチ箱」カテゴリで明らかにするつもりですが、今、「私設たるみ
燐寸博物館(仮称)」を店舗内に設ける準備に忙しくしています。
ただ単にマッチ箱を展示するという企画は2012年の「京都レトロマッチ箱のデザイン展」、2011年に開催された京都工芸繊維大学・美術工芸資料館「手の中の世相-マッチラベルコレクション展」があります。
僕の場合はマッチ箱をめぐる冒険をして、僕なりのコメントを添えるという展示方法を考えています。
また、マッチ箱のデザインも行い、販売までたどり着ければと思っています。
西舞子で生まれ育ち、神奈川県で2年、東京で5年生活をしました。
ご縁がありましたら、そして「私設たるみ燐寸博物館(仮称)」が出来上がりましたら、僕の実店舗へ足を運んでいただければ嬉しいです。
今後ともよろしくお願いいたします。
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