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The burnt-out light bulbs – 相次ぐ電球の死 –

The burnt-out light bulbs - 相次ぐ電球の死 -

昨夜から今朝にかけて、自宅は平穏な夜を複写機でコピーしたような等しさの静けさが貼り付いていた。もちろん、そこには不均一な音があり、異なる風があり、異質な時間がある。木々の葉の傾きも雲の位置も月の形も星の輝きも、どれひとつとして過去のいかなる日とも同一ではない。

でも、大まかなところ、僕たちはそんなことにほとんど気づくことなく、暮らしていくのだ。

そして、なんの前触れも警告もなく、急に自分の影を失った人たちと同じように、その変化に気がつく。

昨夜、洗面台の横にある洗濯機のほぼ真上に設置されているボール型の電球が切れた。

僕にしか気がつかないわずかな光の変化を気まぐれに起こし、そしてスウィッチを切った後、再び、電球が与えられた任務を遂行することはなかった。

「Angels and Airwaves」の「We don’t need to whisper」をヘッドフォンで聴きながらたまった新聞を読み、深夜、シャワーを浴びようとして、浴室のライトをつけた際、2つあるうちの電球の1つが切れていた。

“The burnt-out light bulbs”

そんな歌なんてないよね。

前回、これらの電球が切れた際に買った(もうかなり昔のことだ。思い出すことさえできない)2個で1箱になったパッケージ販売の商品にそれぞれ1つずつ残りがあったので、煩わしさは感じなかったのだけれども、いったい僕たちは不測の事態に備えて、どれだけ予備のために気苦労をしなくてはならないのだろう。

なくてもさほど気にならないモノもある。ないと困るモノもある。

バックアップはいくつ用意すれば充分なのか?

どのようにそのバランスをとっていけばいいのか?

サーカスの綱渡り師が使う長い棒が必要なんだろうか?

そして僕のバランスをつかさどっていた長い棒はいったいどこに置き忘れたんだろう。

探しても見つからないんだ。

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