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雑文

発声練習

発声練習
あ、え、い、う、え、お、あ、お
か、け、き、く、け、こ、か、こ
さ、せ、し、す、せ、そ、さ、そ
た、て、ち、つ、て、と、た、と
な、ね、に、ぬ、ね、の、な、の
は、へ、ひ、ふ、へ、ほ、は、ほ
ま、め、み、む、め、も、ま、も
や、え、い、ゆ、え、よ、や、よ
ら、れ、り、る、れ、ろ、ら、ろ
わ、え、い、う、え、を、わ、を

窓から外に向けて、遠くにまっすぐ届くように声を出す。
そこに意味を見いだしてはいけない。

近くにいる人にも遠くにいる人にも等しく聞こえるよう空気の振動などという物理学や音響学のことなど学問的な解釈はきちんと折りたたんで、単行本のページとページの間には挟んでおいて、どこまでもどこまでも、そしてただそれのみで、限りなく遠くまで、まっすぐに声を出す。

何度も何度も繰り返す。
それは浜辺の波のように。

それから、それから、それから…。

「聞こえない音は存在しないことと同じなんだ」とある人が僕に言った。「それに、正しく繰り返せば、必要なときにきれいな声が出る」

僕の声は「あちら側」にはもう届かない。
2012年の6月は今日で終わる。

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モノ 雑文 音楽

The burnt-out light bulbs – 相次ぐ電球の死 –

The burnt-out light bulbs - 相次ぐ電球の死 -

昨夜から今朝にかけて、自宅は平穏な夜を複写機でコピーしたような等しさの静けさが貼り付いていた。もちろん、そこには不均一な音があり、異なる風があり、異質な時間がある。木々の葉の傾きも雲の位置も月の形も星の輝きも、どれひとつとして過去のいかなる日とも同一ではない。

でも、大まかなところ、僕たちはそんなことにほとんど気づくことなく、暮らしていくのだ。

そして、なんの前触れも警告もなく、急に自分の影を失った人たちと同じように、その変化に気がつく。

昨夜、洗面台の横にある洗濯機のほぼ真上に設置されているボール型の電球が切れた。

僕にしか気がつかないわずかな光の変化を気まぐれに起こし、そしてスウィッチを切った後、再び、電球が与えられた任務を遂行することはなかった。

「Angels and Airwaves」の「We don’t need to whisper」をヘッドフォンで聴きながらたまった新聞を読み、深夜、シャワーを浴びようとして、浴室のライトをつけた際、2つあるうちの電球の1つが切れていた。

“The burnt-out light bulbs”

そんな歌なんてないよね。

前回、これらの電球が切れた際に買った(もうかなり昔のことだ。思い出すことさえできない)2個で1箱になったパッケージ販売の商品にそれぞれ1つずつ残りがあったので、煩わしさは感じなかったのだけれども、いったい僕たちは不測の事態に備えて、どれだけ予備のために気苦労をしなくてはならないのだろう。

なくてもさほど気にならないモノもある。ないと困るモノもある。

バックアップはいくつ用意すれば充分なのか?

どのようにそのバランスをとっていけばいいのか?

サーカスの綱渡り師が使う長い棒が必要なんだろうか?

そして僕のバランスをつかさどっていた長い棒はいったいどこに置き忘れたんだろう。

探しても見つからないんだ。

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マッチ箱/マッチラベル

マッチ・コレクション/「四季の花」シリーズ

マッチ・コレクション/「四季の花」シリーズ

戦後の日本のマッチ箱・マッチラベルを収集していると、僕がどうのように否定しようとも、燐寸工業の衰退を感じないわけにはいかない。
「四季の花」シリーズのマッチ箱は7個(そのうち1個は重複しています)。
マッチ箱の側面にあるヤスリ状の摩擦面を切り取る前に、記念写真を、ということにする。

ヤスリ状の摩擦面を取り除き、展開している黄色の側面の「四季の花」(これが画像左端のマッチ箱と重複している)は左側に「宇治平等院のすいれん」と印字されている。
その右のマッチ箱は左側に「嵯峨大覚寺の嵯峨菊」と印字されている。
この「コメント付き(?)」の2つのマッチ箱はタテ:5.6cm * ヨコ:4.7cm * 厚さ:9mm(実測)、他の4つはコメント(?)はないものの、「四季の花」という文字の下に「(有)世界燐寸工業」と印字され、タテ:5.6cm * ヨコ:3.6cm * 厚さ:9mm(実測)となって、横幅に違いがある。

展開した「宇治平等院のすいれん」のマッチ箱は1976年に入手、それ以外は2011年以降に入手した。

サイズ違いの2つの「四季の花」シリーズ、どちらが先に製造されたものか確認は取れていない。

このような広告用のマッチではなく、シリーズ物のマッチは主に駅の売店で売られることが多かったようで、「タバコマッチ」と呼ばれていたようだ。

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モノ 雑文

髪を切りに行く

髪を切りに行く/神戸ポートタワー

薄い雲が神戸の街を覆う。
前回、髪を切ってから2か月と20日を経過した今日、僕は髪を切り行く。

「KOH-I-NOOR HARDTMUTH(コヒノール社)」の木製軸の2.5mm芯ホルダーを買って帰る道はJR三宮駅からJR神戸駅までの短く、足早の散策。

人はどれくらいの間隔で髪を切りに行くのだろう。

それは間隔の問題ではなく、感覚的なもの?
それは自分のためではなく、大切な人に会うため?
それは気まぐれではなく、決意に似たもの?

元町商店街を途中で南に折れ、神戸ポートタワーに向かう。
トレーシング・ペーパーのような何層にも重なる雲のせいか、雲は青みを帯びている。

神戸ポートタワーの北側の地域は騒がしいほどの再開発の波。
神戸港の波は静か。

いつしか、近いうちに、遠く北側から神戸ポートタワーを美しく望むことができる場所は変わる。
いつしか、近い将来、遠く南側から神戸ポートタワーを望む風景は変わる。

そのときに臨む覚悟を僕は決めなくてはならない。

変えてもいいもの、変わっていいもの、変えなくてはならないもの、気まぐれなココロのように、いずれ、時が検証を行う。

そこには一切の歪みもなく。

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雑文 音楽

Philip Glass/Koyaanisqatsi(コヤニスカッティ)[完全版]+スペシャル・ボーナスCD:GLASS JUKEBOX

Philip Glass/Koyaanisqatsi(コヤニスカッティ)[完全版]+スペシャル・ボーナスCD:GLASS JUKEBOX

反復するリズム、重複しながらも変化する旋律、重ねられる主題。
ミニマルミュージックを約90分、聴き続けることはある人にとっては苦痛。

僕にはとっては映像がなくても、それは心地よさ。
映像となるべきモノは周囲の空間にいくらでも存在する。

ゴッドフリー・レッジョ監督の1982年製作のドキュメンタリー映画「Koyaanisqatsi(ココヤニスカッティ)」をほんの一部分しか見たことがない僕。

低速度撮影されたそのほんの少しの映像時間に見つけた作曲家、「Philip Glass(フィリップ・グラス)」。

1998年盤は8曲73分、2009年盤は13曲76分となっている。僕が所有しているCDは2枚組の1998年盤。
スペシャル・ボーナスCD:「GLASS JUKEBOX」が付属する。

” コヤニスカッティ。
1. コヤニスカッティ・オープニング
2. 有機的統一による世界
3. 雲の風景
4. 地下資源
5. 都市の動脈
6. プリット・イゴ(高層住宅)
7. 坩堝
8. 予言 ”
(ライナーノーツ:前島秀国)

” グラス・ジュークボックス。
1. 映画「シークレット・エージェント」サウンドトラックより メインタイトル&ローストビーフ
2. オペラ「オルファ」:第2幕第5場 間奏曲
3. 映画「アニマ・ムンディ」ウンドトラックより リヴィング・ウォーターズ
4. 映画「MISIMA」サウンドトラックより 奔馬(抜粋)
5. オペラ「浜辺のアインシュタイン」より ニー・プレイ 3(抜粋)
6. 映画「シークレット・エージェント」サウンドトラックより 信頼
7. 映画「ポワカッツィ」サウンドトラックより 古代文明の地アフリカの新都市、古代文明の地インドの新都市
8. 弦楽四重奏曲第3番「MISIMA」:第5楽章「エンドタイトル」
9. 映画「ポワカッツィ」サウンドトラックより 語り得るもの(抜粋)
10. 映画「MISIMA」サウンドトラックより 収のテーマ – 鏡子の家
11. オペラ「浜辺のアインシュタイン」より ダンス 2(抜粋)
12. シネ・オペラ「美女と野獣」より 庭園でのプロムナード(抜粋)
13. 「ミュージック・イン・12パーツ」より パート2(抜粋)
14. 弦楽四重奏曲第5番:第5楽章(抜粋)
15. 「ハイドロジェン・ジュークボックス」より ファーザー・デス・ブルース ”
(ライナーノーツ:前島秀国)

意味を見いだすのは個々。
そこに同じ解釈は存在しないだろう。

そこに同じ価値観は存在しないだろう。

* blog内、全て敬称略です。