カテゴリー
雑文

吉本隆明/詩人・評論家・作家のための言語論

吉本隆明/詩人・評論家・作家のための言語論
2012年4月14日のblogの終わりに「詩人としての吉本隆明を見つけるために」と書いたこともあって、吉本隆明の初期詩篇とともに「詩人・評論家・作家のための言語論」を図書館で借りた。
株式会社メタローグが1992年の設立に伴い、創作学校を創設し、そこで吉本隆明が口述した内容をまとめた(加筆・再構成した)1999年の本なのだけれど、この株式会社メタローグの設立に大きく関わったのが、まったくの偶然なのだけれど、本当にそこには介在するような要素も動機はなにもなく、昨日のblogで触れることになった「安原顕」です。

株式会社メタローグは2005年7月に倒産していますが、創作学校は今も存続しているようですね。

おそらく、吉本隆明の書いた書物の中で、平易でわかりやすい書物に入るのだろう。僕が初めて買った吉本隆明の1982年の著作「空虚としての主題」と比べると電子炊飯器と電子レンジくらいの機能差がある(と思う)。

本書は「I. 言語以前のこと」「II. 言語の起源を考える」「III. 言語論からみた作品の世界」「あとがき」からなる。

「I. 言語以前のこと」ではおそらくはフロイトの精神分析やヴィルヘルム・ライヒの考え方を元に話を展開しているのだけれど(僕はもうその段階でこの本を読むのを止めてしまおうかと思ってしまったのだけれど)、「…の記述を信用するなら」「…を信じるなら」といった表現が多く、内容にかなりのブレがあるように感じられます。

彼の本領(だと思う)は「II. 言語の起源を考える」に入ってから10ページほど読み進んだあたりからが発揮されるのだけれど、「この本を読んで、彼の他の著作や他の著者の文献を読むという」姿勢で手にしていい内容の本だと思う。

“そんなはずはないという表現をつくりだすところに、文学の本領があるといってもいいくらいです”

“文学作品の価値は韻律・撰択・転換・喩で尽くせる”

“ぼくの文学理論は、主題や内容の意味は作品の芸術的価値とは一義的なかかわりがないということです”

独特の発想を言い切ってしまうところは吉本隆明の力量・器量なんでしょうか?

本のタイトルは「詩人・評論家・作家のための言語論」となっていますが、よくありがちな「読書をする上での作品の捉え方、批評の仕方を再考しようよ」的な意味合いがあると僕は思いました。
それはそうとして、あまり吉本隆明の評論には手を出したくないな、と再認識させられたような気がしてならないのだけれど…。

* blog内、全て敬称略です。

*メールアドレスが公開されることはありません。 メールアドレスと名前の各欄は必須項目です

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Google フォト

Google アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

%s と連携中

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください