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金星と木星に挟まれた月

金星と木星に挟まれた月/2012年3月26日

仕事を終えて、垂水の実店舗を出ると、夜空に月が綺麗に浮かんでいる。
垂水は夕刻に気まぐれな雨が降ったために、夜空が透き通って見える。

23日の今夜は月が金星と木星に挟まれた夜になる。

ひんやりとした大気の中に明るい「金星」とひときわ明るく輝く「月」とわずかに光る「木星」が縦に並んでいる。

三脚を用意していなかったので、左側にある街路樹と電線を含めて、収めようとして、何度も手ぶれの画像をディジタル・カメラに収めながら、幸運の一枚が写っていることを願う。

天体においては特別な日だなんて、知らなかったんだ。

“夜は神の壊れた宝庫
あふれでる大地の言葉が
動かない二人の上に流れる”

片瀬博子の詩集「おまえの破れは海のように」に収められた「抱擁」と題した詩に、そんな表現がある。

今夜、僕ではない特別な二人のために…。

* blog内、全て敬称略です。

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2012年3月の最終週の始まり

2012年3月の最終週の始まり

日曜日始まりのカレンダーを眺めていると、2012年の3月には土曜日が5回あるためか、今週はカレンダーに数字がぎっしりとつまっているような気がする。
2012年全体を見わたすと、日曜日始まりのカレンダーでは31日が土曜日に当たるのはこの3月だけである。

今日の時折吹く風は強く、空高く舞う鳥たちにとっては最適な風となったようだ。

“しばらく考えことをしながら僕は黙っていた。僕は窓の外を過ぎてい大気圏の風景を眺めていた。想像上の出来事を柔軟性の不足する現実世界の受け皿に移植するというのは、いつもながら簡単ではないな、と僕はふと思った。枠が固すぎて融通がきかないのだ。でも僕は肩をすくめた。(ティム・オブライエン「ニュー・クリア・エイジ」、翻訳:村上春樹、1994年、文藝春秋)”

僕は肩をすくめた。二つの意味で。
一つは少し風が冷たかったため、もう一つは自分自身の「宛先」のせいだ。
特にたどり着かなければならないような枠組みもないまま、近くにある公園を歩いて、ふと思う。
「やれやれ」と。

春に花を咲かせる樹木を1本、見つけた。

* blog内、全て敬称略です。

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それぞれの主張が強すぎる2012年3月24日の天気

それぞれの主張が強すぎる2012年3月24日の天気

西の空は、雨に始まって、青い空が雲の合間に姿を見せながら、夕刻には夕陽が空を染める。
風に多くの樹木の葉が舞い上がり、そして地面を覆う。
須磨の海は強い風だけでなく、コンピューターの世界における「チルダ」のごとく、太陽の光を捉えて、いつもより多くの寄せる波のいただきを描き出していた。

夕刻、窓の外を見ると、建物が夕陽に染まる様を見た。
実店舗から出た途端、小粒の雨が降り出し、実店舗の南にある道路まで来たときには、大きな粒となった雨にカメラを構えることができなくなる。
遠く、明石海峡大橋の背後に夕陽に染まる空が見えているにもかかわらず、雨が降り続く。

今日の神戸の一日は「雨」と「風」と「雲」と「太陽」がそれぞれに自分のいいところばかりを僕たちに押しつけようとするかのように、全てが同時に存在するという込み入った事情を抱える空となった。

「今日は特別な夕刻の空を演出するように」と命じられた「雨」と「風」と「雲」と「太陽」。
最後には少しばかりすねたように、それぞれが妥協し、独特の空と光と影を創り出す。

空が焼け落ちていくような夕陽を見ながら日が暮れる時間の枠の中を過ごす。

そんなわけで、僕は朝には持って出たオレンジ色の長い傘を帰宅時に持って帰るのを忘れてしまう。

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soundevice(サウンデバイス)のスピーカー「ESP-25」を改造してみた

soundevice(サウンデバイス)のスピーカー「ESP-25」を改造してみた

引っ越しをするという知り合いから不要になったスピーカーを譲り受ける。スピーカーは1978年に創業した株式会社エミック(EMIC CO.LTD.)が販売していたオーディオ・ブランドだったようだけど、今、このブランドは存在せず、全商品が生産終了となっているらしい。

譲り受けたこのバスレフ型エンクロージャー・スピーカーは「soundevice ESP-25」というモノで、高さ:18cm * 幅:13.5cm * 奥行き:13cm(僕の実測値です)、片側のフルレンジ・スピーカーのコーンが損傷して動作しないし、スピーカー・ネットなし、外観もあまりいい状態とは言い難い。
そんな状態のスピーカーを引き取る僕もどうかしているわけだけれど、外観はマスキングをして、アサヒペンのアクリル樹脂塗料「ストーン調スプレー 」を指示通り2度吹きつけ、石目調に仕上げ直した。

自作スピーカーを好む人は通常「バスレフ型スピーカーの設計にあたってはエンクロージャーの容積に加え、バスレフダクトの設計」といった少々難解な計算と設計を行うのだけれど、僕はそのあたりいい加減で、「10cmのフルレンジユニット」だけ交換すれば充分と思ってしまうタイプなので、「FOSTEX」社の「FE103En/10cmコーン形フルレンジユニット」を購入して取り付けた。

思っていた音の好みと三角定規とコンパスほど異なるので、スピーカー内部にある「廃材になった衣類等を細かくほぐしてフェルト状にした」吸音材を取り出し、一辺が5cmの「ピラミッド型・ティーバッグ型の吸音材」を厚めでしわのある和紙で作り、それぞれのスピーカーに10個ずつ入れている。
一辺が5cmの正四面体(三角錐)を作るために、定規とコンパスを使って、もう描くことはないだろう思っていた正三角形を紙に描き、三角錐の展開図を20個製作することになる。
コンパスなんて持っている人って、僕のblogにハードランディング(hard landing)した「読者」の中にどれくらいいるんだろう。

この「ピラミッド型・ティーバッグ型の吸音材」の数で、音質が変わるらしいのだけど、まだ低音域が隠し味にもならないほど不足している。
「石目調」も「音質」もそれほど綺麗にできなかったけれど、思い入れのある小型のスピーカーということにして、深入りはしない。

当然ながら、2012年1月19日のblogに書いた「SANSUI(サンスイ)/2WAY SPEAKER SYSTEM/SP-100i」」と比較することはできない。
スピーカーのコンセプトが全く違っているからね。

ふと思いついたのだけれど、「音」に関する好みって、どうやって形成されていくんだろう。
年齢とともに変化するモノなのかな?

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ビン・カン ペットボトル(BOTTLES・CANS PETBOTTLES)

ビン・カン ペットボトル(BOTTLES・CANS PETBOTTLES)

日頃、僕のほとんどの移動は徒歩かバスかJR、あるいは私鉄なのだけれど、先日、ある駅でペットボトルを捨てようとして、一種の違和感を感じました。

日本語では「ビン」、「カン」、「ペットボトル」と単数で表記、英語では「BOTTLES」、「CANS」、「PETBOTTLES」と複数表記するということをすんなりと受け入れることができなかったということではありません。
日本語で「ビンズ」、「カンズ」、「ペットボトルズ」と表記すると意味が不明瞭になってしまう、という発見をしたわけでもありません。
日本語では本来、複数形で表さなければならない単語を、複数形で表示するという概念があまりないためか(あるいは、そのほかの正当な理由によって)、単語が単数形表示になることが多いですよね。

そうそう、そんなことに気がついたわけではありません。

僕はアルミ缶やスティール缶に入った飲み物やペットボトル飲料を移動中に飲むことが多いのだけれど、飲みきれなかった場合は家に持ち帰って、「ゴミの分別回収」で廃棄する。
けれども移動中に捨てる場合は駅のゴミ箱に捨てることがほとんどで、僕は飲み干した飲料の「缶や瓶」は左、「ペットボトル」は右の穴からゴミ箱に放り込んでいた。

つまり、「ビン・カン/BOTTLES・CANS」、「ペットボトル/PETBOTTLES」という文字の位置に対応するゴミ箱に開けられた円形の窓に投棄していたわけです。

「ビン/BOTTLES」も「カン/CANS」も「ペットボトル/PETBOTTLES」もゴミ箱という物体の中では同じ場所に落ちていきます。
「ビン」や「カン」を右、「ペットボトル」を左に設けられた窓から捨てても、同じビニール袋に収納されることがわかっていても、「ビン・カン/BOTTLES・CANS」と「ペットボトル/PETBOTTLES」の表記にまるでキーボードでスペース(空白)を一文字いれたような「ビン・カン ペットボトル(BOTTLES・CANS PETBOTTLES)」という単語の配置、レイアウトになると、左右の円形の窓にそれぞれ対応した容器を律儀に捨てていたことに気づいたという話を僕は書きたかっただけです。

入り口は2つでも落ち着く場所は1つ。