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ニック・ホーンビィ/ハイ・フィデリティ

ニック・ホーンビィ/ハイ・フィデリティ

“レコードの世界は、ぼくが住んでいる世界より、優しく、薄汚くて、暴力的で、安らかで、彩りがあって、くだらなくて、危険で、ずっと愛にあふれている。歴史があり、地理があり、詩があり、そのほかに - 音楽自体もふくめて、学校で学んでおくべきだったものが、数え切れないほどある”

ニック・ホーンビィの1995年の作品「ハイ・フィデリティ(翻訳:森田義信、1999年、新潮社)」の主人公はこのように語る。

舞台はロンドン。
「ほとんど注釈に終始する訳者あとがき/森田義信」には114個の注釈が書かれている。
この注釈だけでも充分でないほど、登場する話題は様々な映画・音楽・ミュージシャン・アーティスト等、広い分野に及ぶ。

“こんなこと・・・・・・どこか・・・・・・どう考えてもおかしい。絶対に、おかしい。以前はなんの問題もなかったことがコントロール不能に陥ったとき、人々は「おかしくなった」という言葉を使う。「民主主義がおかしくなってしまった」という具合だ。今ぼくはそんな表現を使いたいと思っているのだが、いったいなにがおかしくなってしまったのか、はっきり指摘できずにいる”主人公「僕」の物語で、彼はロンドンでいっこうに儲かる気配のない中古レコード・ショップを営む。

その「僕」が幸運の最高の確率で、ある女のコを好きになって、いっこうに進展しない恋愛に身動きがとれず、出口を探して模索する物語といってしまえば、もうこの作品に対する愛着もなんにもないように思われてしまうので僕としては大いに困るのだけれど、いや、それはそれで、だれかに迷惑をかけるよりかはましだ、とも思ってしまう。

まあ、この小説の最大のポイントは

“魅力的な人とそうじゃない人は、どこがどうちがうか(ニック・ホーンビィ「ハイ・フィデリティ」、翻訳:森田義信)”

ということにあるのだろう、と勝手に思っている。

スティーヴン・フリアーズ監督によって、2000年にジョン・キューザックを主人公にキャスティングして映画化されている。
映画を先に観たのか、小説を先に読んだのか曖昧なのだけれど(たぶん、小説を「先」に読んだ。おそらく…)、小説ではロンドンを舞台に、映画ではシカゴと違っているものの、小説も映画も共に僕の個人的な感覚にはぴたりと収まるモノだったことを記憶している。

今日の午後は空が突然裂けて、光を放ったり、裂け目から大粒の雨が短時間だけ落ちてくる神戸でした。