潮の香りさえ感じることのできないくらい冷たい風の吹く冬の須磨海岸に立つと、海辺に寄せる海の水は透き通り、曇り空にもかかわらず、空の色に染められ青く澄んだ海水の下に浅瀬の砂を綺麗に見ることができる。
波が浜辺で砕ける音もよく聞こえる。
人の気配はほとんどなく、背後でJR須磨駅のアナウンスが異常なほど大きく聞こえてくる。
「こんな冬空の下の海岸を散歩するなんて、おかしな人もいるんだな」と駅のプラットホームに立つ人に思われたかも。
でも、顔に当たる風は気持ちを引き締めてくれる。
“寄せてはかえし
寄せてはかえし
かえしては寄せる波の音は、何億年ものほとんど永劫にちかい昔からこの世界をどよもしていた。
それはひとときたりともやむことはなかったし、嵐の朝はそれなりに、なぎの夕べはそれらしくあるいははげしく、時におだやかにこの青い世界をゆり動かし、つたわってゆくのだった。
寄せてはかえし
寄せてはかえし
かえしては寄せる海。かがやく千億の星々は波間にのぼり、夜明けの薄明とともに広漠たる波頭の果に沈む。(以下省略)”
海を見ると、ここに引用した「百億の昼と千億の夜(光瀬龍、1973、早川書房)」の冒頭の文章を思い出す。
でも、「百億の昼と千億の夜」という長編小説は最後まで読み切ることができなかった。
僕は時々、冬の須磨海岸を散歩したくなる。
* blog内、全て敬称略です。