カテゴリー
雑文

「レトロで異国情緒」という表現にもうおなかいっぱいなんだ。

世の中にはいろんなキャッチコピーがあふれているいるわけだけれど、この数年間というのか、webの進化によって、キャッチコピーが本来持っていた人の心を動かすような、濃縮さえれたジュースのような豊潤な文体はどこにいってしまったんだろうと思うことがある。

さて、「レトロで異国情緒」と言う表現が使われだしたのはいつのことなのかわからないのだけれど、よく目にするし、耳にする。
目や耳から入力された「レトロで異国情緒」という文字や音声は信号となって、神経回路を通って、脳に伝わり、僕の脳に蓄積されていく。

それは手のひらに静かに降り落ちてきて、溶けていくひとひらの雪のような情報でしかないのかもしれない。

でも、僕の脳には「レトロで異国情緒」という表現はあまりのも多く蓄積され、その上溢れてしまうほどで、少しココロが困惑し、感情が悲鳴をあげる(「レトロで異国情緒」という表現が好きな人に悪気があるわけではありません。気に障ったら、ごめんなさい)。
「もう、おなかがいっぱいなんだ。お願いだから」と。

そう、アレルギーと同じなんだ。許容範囲を越えるともう取り返しがつかなくなる。

ところで、「仕事に追われる」という表現があるけれど、あまり「追われた」ことはないと思う(「追われている」人には申し訳ない)。

僕はいつも「仕事を追いかけていた」し、時には「仕事に追いつき、追い越すこと」もあった。
どちらかというとスロースターターで気の利かない不良品の僕が「これでも少しは優秀なんだよ」と言い訳をしたいわけではなく、まったく、日本語って言うのはややこしくて、面倒なんだから、と言いたいだけです。

まあ、「仕事に追われる」くらいの仕事を与えられなかったんじゃないの、という意見は僕なりに尊重したいと思うし、実際、そうだったかもしれない。

「仕事に追われる夢」はよく見たけれどね。

広告

「「レトロで異国情緒」という表現にもうおなかいっぱいなんだ。」への2件の返信

きっと本当にただただ「レトロで異国情緒」だったら、いいのでしょうが、
「レトロで異国情緒」が商品化されちゃったのが、食傷気味にさせちゃうんでしょうね。
「ね、レトロでしょ、ほらほら、異国情緒でしょ?!」としたり顔で言われると、
どうも薄っぺらに見えたり聞こえたりしますよね。

私は本当に生産性が低いので、やっぱり仕事に「追われている」人です。
あるいは「追われないと仕事しない」のかもしれないけれど。。。
しかし昔は「追われれば仕事をした」のに、
最近は「追われても、追い抜かされても、仕事しなくなってきた」ように思います(ダメじゃん、自分^^;;)。
追いかけ、追い越す人になりたいです。
ちょっと休みすぎたので、そろそろまた走り出さなくちゃ、という時点にいます。

このblogは、私ももうひと頑張りしなくちゃ!と思わせてくれますよね。
ありがとうございます^^

いいね

「かぼちゃん」さんが、お書きになったコメントのように、商品化された「レトロで異国情緒」が僕は気に入らないのだと思います。

なんだか、不思議な気がします。常に「ネガティヴ」であろうと心がけているにもかかわらず、僕のblogから「頑張り」を見い出していただき、ありがとうございます。
「ネガティヴ」であることが僕の原動力なんです。

いいね

*メールアドレスが公開されることはありません。 メールアドレスと名前の各欄は必須項目です

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

%s と連携中

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください