“外は寒さがぱりぱりいいそうな冬が続いている。かなり静かだ”
と2011年9月26日のblogで書いたアンドレイ・クルコフの「ペンギンの憂鬱(翻訳:沼野恭子、新潮社)」の中にそのような文章があります。
西の空にまるで日本時間2012年1月23日未明に表面にフレアを発生した太陽の光を運んでいるかのように低く垂れ込めた雲がゆっくりと動いていました。
いくつもの陽光の帯が地上へと天空へと伸びています。
“どういう状態を「正常」と呼ぶかは、時代が”変われば違ってくる。以前は恐ろしいと思われていたことが、今では普通になっている。つまり、人は余計な心配をしなくていいよう、以前恐ろしいと思ったことも「正常」だと考えて生活するようになるのだ。だれにとっても、そう自分にとっても、大事なのは生き残るということ。どんなことがあっても生きていくことだ(アンドレイ・クルコフ「ペンギンの憂鬱」、翻訳:沼野恭子、新潮社)」”
2004年に出版された本書で既に、アンドレイ・クルコフはウクライナの空の下からこのように警告しています。
“大切なのは事実かどうかを証明することではなく、事実と仮定して物事を動かしていった時に、最後まで矛盾なく成立するかどうか確かめるというやり方をすること。すべての可能性を検討して同時にすべてを疑うこと”
と2006年に長編小説「チーム・バチスタの栄光(宝島社)」の中で登場人物に語らせたのは海堂尊。
“今世紀だけでも、あんまり同じことが繰り返し言われるものだから、僕は勘定するのをやめたぐらいだよ”
とジョン・ガードナーは1980年の作品「ゴルゴダの迷路(新潮社)」の中で登場人物にそう語らせました。
そうさ、1980年にね。1980年って、もう随分と昔のことのように思えるけれどね。
テクノロジーの進歩とともに僕が忘れてきたのはいったい何なんだろう、と時々思います。
今日の雲は「光の束」の他になにを運んでいるのだろう?
「雪」、「寒気」、「恐怖」、「怒り」、「悲しみ」、「だれかへの想い」それとも「レトリック」?
* blog内、全て敬称略です。