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いろんな物事に折り合いをつけるのに時間がかかるんだ/ベランダの夕陽

いろんな物事に折り合いをつけるのに時間がかかるんだ/ベランダの夕陽
こんばんは、久しぶりの夕刻の空。
今日、自宅でいらないものを2つ処分した。いらないと判断する基準は僕の中にしか存在しない、ある種の温度計のようなもので、温度計がこの値を示したら、エア・コンディショナーの電源を入れる、この温度なら電源は入れないという個人的な基準で、他人から強要される類のものではない。
2つのいらないものを処分しながら、「過去を清算する」、「過去と訣別する」という言葉が浮かんできた。

手持ちの三省堂の「新明解国語辞典(第二版)」によると「清算」とは「今までの貸し借りをすっかり整理して、後始末をつけること。[今まで続いて来た、不本意な関係に結末をつけることにもたとえられる]」、「訣別」とは「一緒・だった(に居た)ものから別になる。離別する」とある。

「過去を清算する」ことも「過去と訣別する」ことも通常では不可能だ、と僕は時間という概念を物理学、哲学、脳科学、文学、心理学という学問による専門的な分析に脅迫状を送り、強引に抑え込んで、そう思う。

“起こってしまったことは起こってしまったことです(村上春樹「ねじまき鳥クロニクル 第1部 泥棒かささぎ編」、新潮社)”

1秒1秒過去に置き換わっていく事象の上に僕は立ち、自分の心の整理をつけようとしたとき、過去の清算、過去と決別いう行為は自分の身勝手な思い込みでしかないように感じる。
物理的な過去の変化を不本意だと消し去ることは許されるべきことではないし、僕には過去と現在は訣別できないコインの裏表のような関係に思えるからだ。
もちろん、いろんな考え方があって当然だし、すべての人が同じ考え方をするようでは個性なんて、存在しなくても構わなくなるんじゃないかと思うし、僕が書いていることが正しい解であると信じるに値する「裏付け」すらない。

未来に関しては僕は何もわからない。
いろんな物事に折り合いをつけるのに時間がかかるスロースターターであることにかわりない。

“人生は人の事情にはおかまいなく勝手に流れていく(村上春樹「村上ラヂオ」、新潮社)”

僕はそれほど変わっていない。

「ぼくはきみらとは違うんだ。わかっているくせに。ぼくはオールAの優等生じゃなかったし、天才でもない。ただの低能なんだ(ブラッド・メルツァー「最高裁調査官」、翻訳:中原裕子、早川書房)」

* blog内、全て敬称略です。

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