2012年も既に4日経過して、様々な経済の動きが元に戻りつつあります。
昨日、実家に弟夫婦と彼らの3人の子供たちと一緒に集まり、半日を過ごしました。
神戸では子供の頃から馴染みの深い「神戸風月堂」の焼き菓子(ゴーフル)をもらう。
直径約8cmのミニゴーフルが6枚(3枚入り 2袋)が収まる小さな缶。
「おや、この缶の図柄をどこかでみたことが…。」と思って、缶をよく見つめると円を描く干支の中で、今年の干支である赤く印刷された「辰」という文字のそばに「祐」という印影を見つけました。
これって、2011年12月11日、2011年12月15日、2011年12月27日のblogで書いた「川西英」の三男である「川西祐三郎」の作品だなと想いながら、食するために缶の蓋を固定しているテープを取り外し、蓋を開けて裏返してみると果たして、「原画作家略歴」として「川西祐三郎画伯」という印刷を認めた。
“1923年 版画家 川西 英 の三男として神戸に生まれる
1943年 日本版画協会会員推挙
1968年 ピストイア(イタリア) 第2回国際版画ビエンナーレ展出品
1971年 国画会会員推挙
1985年 神戸市文化賞受賞
1995年 兵庫県文化賞受賞
2002年 日本版画協会名誉会員推挙
2008年 平成20年度地域文化功労者 文部科学大臣表彰受賞
現在 日本版画協会名誉会員・国画会会員
作品収蔵 東京国立近代美術館 京都国立近代美術館 国立国際美術館 大阪府現代美術センター ホノルル美術館 姫路市立美術館”
と蓋の裏側に記されている。
「神戸風月堂」ではパッケージや包装に川西祐三郎の作品を数多く使用している。
2011年(昨年)の11月11日から12月25日まで京都国立近代美術館で行われた「川西英コレクション収蔵記念展 夢二とともに」展の際、「京都国立近代美術館は、2006年度より、神戸で活躍した版画家・川西英が集め続けた作品・資料の収集を進めてきました」という案内を見たのだけれど、神戸で活動した川西英の「作品・資料の収集」がどうして京都なのかな?
しかも、川西祐三郎の作品収蔵にも神戸市の美術館が載せられていない(それは単に数が少ないから?)。
神戸で活躍した川西英、今も活動している川西祐三郎の作品を神戸市はどう考えているんだろう?
確かに、神戸市公式HPで川西祐三郎の作品を公開しているが、どれくらいの神戸市民が川西英、川西祐三郎の名と木版画を知っているんだろう?
神戸市なら複雑な事情を排して、記念館の1つくらい簡単に造れるだろうと勝手に思うのだけれど(財政難?それはそうだけれど)。
* blog内、全て敬称略です。