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ダン・ブラウン/パズル・パレス

ダン・ブラウン/パズル・パレス

“この国の人々はどこかに信頼を託さなくてはならない。世の中にはたくさんの善がある ─ でも、そこには多く悪も混在している。だれがそのすべてに通じて、善と悪を選り分けなくちゃならない。それがわれわれの仕事よ。そして義務でもある。好もうと好まいと、民主主義とアナーキズムのあいだには、両者を隔てる脆弱な門が存在する”

“だれが番人を監視するのか!”

2006年に角川書店から日本語翻訳が単行本として刊行、2009年に文庫化されたダン・ブラウンのデビュー作「パズル・パレス」。
翻訳は越前敏弥・熊谷千寿。原題は「DIGITAL FORTRESS」。1998年の作品です。

ダン・ブラウンという名前に心当たりのない人でも「ダ・ヴィンチ・コード」の作者といえばわかるかもしれませんね。

僕が途中で手を止めることなく、最後まで読み終えることができたのは、翻訳小説に慣れているいるせいなのか、ダン・ブラウンの「天使と悪魔」「デセポション・ポイント」「ダ・ヴィンチ・コード」へと続く優れた技量のせいなのか、翻訳者の努力の結果なのか、僕にはわからないのだけれど、驚くべきことは、彼が1998年の段階でこの小説を書いたことにあります。

この本の内容は時代とともに埃をかぶって、古ぼけたモノになっていくことは明らかなのですが、物語の骨格となる部分は現時点でも通用するし、今後も話題になっていくことでしょう、きっとね。

冒頭に引用した”だれが番人を監視するのか!”という言葉に彼の思いがすべて詰め込まれているように思うし、このためだけに複雑に入り込んだ筋書きを用意したとしか思えないのだけど、それって僕の考え過ぎかな?

もう読んじゃった人には不必要なほど迷惑な本の紹介ですね。

* blog内、全て敬称略です。

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雑文

「レトロで異国情緒」という表現にもうおなかいっぱいなんだ。

世の中にはいろんなキャッチコピーがあふれているいるわけだけれど、この数年間というのか、webの進化によって、キャッチコピーが本来持っていた人の心を動かすような、濃縮さえれたジュースのような豊潤な文体はどこにいってしまったんだろうと思うことがある。

さて、「レトロで異国情緒」と言う表現が使われだしたのはいつのことなのかわからないのだけれど、よく目にするし、耳にする。
目や耳から入力された「レトロで異国情緒」という文字や音声は信号となって、神経回路を通って、脳に伝わり、僕の脳に蓄積されていく。

それは手のひらに静かに降り落ちてきて、溶けていくひとひらの雪のような情報でしかないのかもしれない。

でも、僕の脳には「レトロで異国情緒」という表現はあまりのも多く蓄積され、その上溢れてしまうほどで、少しココロが困惑し、感情が悲鳴をあげる(「レトロで異国情緒」という表現が好きな人に悪気があるわけではありません。気に障ったら、ごめんなさい)。
「もう、おなかがいっぱいなんだ。お願いだから」と。

そう、アレルギーと同じなんだ。許容範囲を越えるともう取り返しがつかなくなる。

ところで、「仕事に追われる」という表現があるけれど、あまり「追われた」ことはないと思う(「追われている」人には申し訳ない)。

僕はいつも「仕事を追いかけていた」し、時には「仕事に追いつき、追い越すこと」もあった。
どちらかというとスロースターターで気の利かない不良品の僕が「これでも少しは優秀なんだよ」と言い訳をしたいわけではなく、まったく、日本語って言うのはややこしくて、面倒なんだから、と言いたいだけです。

まあ、「仕事に追われる」くらいの仕事を与えられなかったんじゃないの、という意見は僕なりに尊重したいと思うし、実際、そうだったかもしれない。

「仕事に追われる夢」はよく見たけれどね。

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雑文

2012年1月28日から翌29日の日付変更を救命救急センターで迎える

2012年1月28日から翌29日の日付変更を救命救急センターで迎える/案内板
日付が1月28日から29日に変更するラインを救命救急センターで過ごすことになった。
他の急患の方々や救急センターに待機する医師の方々から見ると、僕は気後れしてしまうほど大した緊急性のない症状かもしてないけれど、僕としては緊急事態である。
とにかくタクシーを手配して、救命救急センターへ駆け込む。

2012年1月28日から翌29日の日付変更を救命救急センターで迎える/点滴中
アレルギーの症状はひどくなり、原因はともかく、点滴となりました。
昨日1月28日の23:30頃に病院へ行き、病院を出て、自宅に着いたのは翌29日(今日)2:40分。

まだ、アレルギーの症状は溶けた氷のようになくなったわけではなく、気分的にも時計の針を1秒1秒追うようにあまり落ち着いたとは言えないけれど、とにかく明日は仕事です。

blogへの213件目の投稿はこんな一日の始まりを記録しておきます。

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モノ 映画/展示/講演会

「ブルック・シールズのプリティ・ギャンブラー」または「ピンボールの青春」

「ブルック・シールズのプリティ・ギャンブラー」または「ピンボールの青春」
アメリカで製作された映画の中ではビリヤードは充分な脇役を与えられているけれども、ピンボール・マシンは脇役どころか、画面にほんの一瞬映るかどうか、あるいは会話の中でさりげなく、いや、気が付かない程度でしか出てきません。
しかし、この1977年にアメリカで製作された「TILT」という映画(日本では劇場未公開)ではピンボール・マシンをたっぷり堪能できます。

僕が記憶している中では唯一のピンボール映画(僕が勝手に命名しました)だと思うんだけど…。

ブルック・シールズ、ケン・マーシャル、チャールズ・ダーニング、ジョン・クロフォード、ジェフリー・ルイス、グレゴリー・ウォルコット…その他、と有名な俳優が出演している。

この映画の製作・監督・共同脚本を担当したルディ・デュランドは10歳のときから映画監督になりたかったようで、「TILT」はその夢だった監督初作品だったそうです。
しかし映画監督としてはこの1本を製作・監督しただけで、TVプ​ロ​デ​ュ​ー​サ​ーとしての仕事に転じたようです。​

僕はこの映画を記憶にないほど随分と昔に日本のテレビ放送ではじめて観たのだけれど、当時子役だったブルック・シールズの日本語吹き替えがビールとワインほどのイメージ差があって、途中で見るのを止めたことを覚えています。日本初公開はNHKでのTV放映(吹き替え版)だったという情報があるのですが、僕はそれを観たのだろうか?

さて、吹き替えなしの日本語字幕付き英語版を観たいと思い、探して入手したのがこの中古のVHSテープ版というわけです(残念ながらDVD版は今のところ存在しません)。
字幕は映画の進行の主たる部分のみを日本語化したような感じで、日本語字幕は補助的なものと思ったほうがいいです。

内容についてはweb上にいくらでも情報があるので、ここではこの映画のタイトルについて少し書いておきます。

日本でテレビ放送された際のタイトルは「ピンボールの青春」、他にも「ティルト/青春ピンボール」というモノもあったようです(僕が観たときのタイトルは「ピンボールの青春」)。
ヴィデオ化にあたって「ブルック・シールズの プリティ・ギャンブラー」となっています。

原題は「TILT(ティルト)」。
「TILT」とはピンボール用語で「反則」を意味します。
ピンボール・マシンはプレイヤーが台を揺らして、ボールの物理的な動きを変えてもよいというルールがあるのだけれど、ピンボール・マシンの台が許容範囲を超えてあまりにも大きく動かされると台の内部に備えられた複雑な装置によって、「ねえ! ちょっと! 台を揺らしすぎよ!」と警告である「TILT」をスコアボードできらきらと点滅させて、ゲーム・オーヴァーを告げる。
「あっ、しまった」、「やれやれ」と思う瞬間でもあります。

ヴィデオのタイトルを「ブルック・シールズのプリティ・ギャンブラー」としたのは「TILT」ではピンボールに馴染みがない日本人には受け入れられない、「ブルック・シールズ(幼少だけれど…)が主演(本当はケン・マーシャルが主演なんだろうな)なので、ブルック・シールズというネーム・ヴァリューで販売しよう」ということにでもなったのではないかと勝手に想像します。

ヴィデオの表紙となっている子役のブルック・シールズがピンボール・マシン2台に背をあずけるようにして立っているシーンは映画の中にはありません。
お薦めして、「えー、なにこれ?」と言われるのもわからなくはないので、気が向いたら観てください。

映画の前半でピンボール・マシンの台を開けるシーンが出てくるので、じっくり観て欲しいのだけれど、ピンボール・マシンの衰退の一因でもあるこれだけアナログなマシンはないだろうというほどの配線とアナログ部品の多さにピンボール・マシンのメンテナンスの難しさを感じることができます。

しかし、このヴィデオを観るたびに、ピンボールの実機を全身を使ってプレイしてみたくなります。

ピンボール・マシンに関してはblogで過去にいくつか書いたのでblog「空に補助線を…。」内にある「検索」に「ピンボール」と入力して検索してもらえると僕としてはうれしいです。

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雑文

脳のスイッチは切れなくても、カラダのプラグを抜くくらいのことはやってみたい

脳のスイッチは切れなくても、カラダのプラグを抜くくらいのことはやってみたい

僕のショップは形式的には「不定休」としているのだけれど、水曜日と金曜日を「定休日」として定めている。
「不定休」なのは全く僕の個人的理由で、「とてもつまらない事情や緊急の用件で水曜日と金曜日以外の営業日もペットボトルをバリバリと音を立てながら踏みつぶすように仕事を押しつぶさなければならないことがあって、実店舗を急に休みにするかもしれませんよ」ってことなんです。

その代わり、事前に連絡さえあれば、時間外に来店するお客様もきちんと受け入れることにしています。
そこで、今日は午前8時30分ごろにショップで商品を見てみたいというお客様の要望に応えるべく、8時に実店舗へ赴き、準備をして、お客様を8時40分過ぎに迎えることになりました。

その後、午後から予定していた込み入って煩わし諸々の事柄を処理するために残りの時間をすべて使うことのなりました。

早川書房から出版されたスティーヴン・ウォマックの小説「破れかぶれでステージ」の中に

“テレビをつけようか。いや、たいした番組は何もやっていない。それよりも、とにかくひと眠りしないと。眠れないまでも、せめてじっと横になって休憩しよう。脳のスイッチは切れなくても、身体のプラグを抜くことぐらいやってみなければ”

という主人公のつぶやきがある。

そんな気分の一日でした。

とにかく、今日一日、三角形や四角形や円形や点や線と様々な形で忙しかった「読者」に

「おつかれさま。そして、お休みなさい。blogを読んでくれてありがとう」