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2011年最後の夕陽と言葉にならない気持ち

2011年最後の夕陽と言葉にならない気持ち
2011年の7月1日から数えて今日で184回目の投稿になります。
書いていることはほとんど取るに足りない内容なので、たいていは晴れた日の突然の短い雨のように、書きたいことが頭に浮かんでくるのだけれど、この1週間は「空に補助線を…。」というblogを書き続けることに数量化できないくらい精神力が必要でした。

それでも毎日書くという基本姿勢を僕は崩さなかったのは、2011年の最後の日でも少なくとも僕のblogを読んでくれている、あるいは見てくれている「読者」のためだけではなく、書くということが僕の存在理由とでもいうべき行為だったからです。
時々でも「空に補助線を…。」を訪れてくれる方々には「ありがとうございます」という言葉と「つまらない内容でごめんなさい」という言葉をここに著しておきたいと思います。

僕はポジティブではないし、どちらかといえばネガティブな思考をしている。でもそれで不自由することもなければ、誰かに迷惑をかける数が多くなったわけでもないと思っています。

空では様々な雲が見送るような様子のなか、2011年最後の夕陽は一筋の雲を横切り、地平線に沈んでいきました。
夕陽は部屋の中を赤く染め、ベランダの細い間隔の柵が作る影や窓硝子の枠の影やテーブルやイスの脚の影を壁に美しく映し出していました。

村上春樹は著書の中で登場人物に次のように語らせています。

“言葉にならない気落ちを胸に抱いたまま眠ることなんてできないのだ(羊をめぐる冒険、講談社、1982年)”

“人には自分が属する場所というものが必要なんだ。多かれ少なかれ(海辺のカフカ、新潮社、2002年)”

今夜は「言葉にならない気持ち」を抱いたまま、眠りに就きます。

* blog内、全て敬称略です。

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