ピンボール・マシンはプランジャーを引き、そして手を離して、金属のボールをフィールドに放ち、如何にして、フィールド内にボールを留めておくか、そして様々な仕掛けをクリアして高得点を得るか、そこにスリルがあるのですが、この本はピンボール・ゲームのプレイ・フィールドやテクニックを収めた本ではなく、「スコアボード」、「バックグラス」デザインに注目した写真集です。
ピンボール・マシンの「スコアボード」、「バックグラス」の人目を惹くデザインはそのまま、ポップアート、シュルレアリスム、アメリカン・コミック・アートの歴史でもあり、また、その時代時代に世界的に注目されたファッションや映画の歴史をも物語ってくれます。
海外ではこの「スコアボード」、「バックグラス」を集めている愛好家もいるほどです。
残念ながら、この写真集に用いられている写真がすべてカラーというわけではなく、モノクロームの写真のほうが多く、ピンボール・マシンの持つ華やかさを伝え切れていません。
日本では2011年11月18日のblogに書いた「ピンボール・グラフィティ」以外に良質なピンボール・マシンに関する書物はありません。
海外では様々な視点から捉えたピンボール・マシンに関する書物が存在します。
ここには「文化の違い」とひとくくりにすることができない複雑な事情があると、僕は思っています。
日本におけるピンボール・マシンの衰退。
その大きな理由はピンボール・マシンが1台120kg前後の重量があったことと、子どもを扱うより、あるいは恋人を扱うより厄介なほど手がかかったからです。
また、それぞれのマシン専用のメンテナンス・ブックがあるのだけれど、電気系統の故障は頻繁に起こるし、配線は複雑な上に、部品は劣化する。部品の調達手段や電気系統に関する技術、ソフトウェアで制御されないアナログな部品を調整する気力がなければ、ピンボール・マシンを維持していくことはできないのです。
しかし、後にピンボール・マシンはパーソナル・コンピューターの中で「ピンボール・ゲーム」としてリアルに再現される時代がやってくるのですが、そこにはもはや「ピンボール・マシン」というリアルな物体は存在することなく、リアルに再構築された別の世界が存在するのです。
「ピンボール・マシンの別の楽しみ方/Heribert Eiden, Jurgen Lukas (共著)「Pinball Machines」」への2件の返信
その機械がピンボールと呼ばれるものだった、ということをこのblogで知りました^^
1970年代、いとこの家にお風呂がなかったので遊びに行くたびに銭湯通いをしたとき、
あるいは家族で外食をしたときに、横にあったゲーム機たちの中で、
幼い女の子ができるのはこのピンボールしかありませんでした。
バーを引っ張って、手を離すだけ。
音も色もハデだし、楽しいし、電気がチカチカするのも子供向き。
すっかり子供用パチンコだと思っていたのですが、
ピンボールという、立派な大人のゲーム機だったんですね!
ところで私も、かつてすっかりハマっていたビリヤードが、
今ではインターネット・ゲーム(yahoo)で遊べることを知ったとき、本当にびっくりしました。
あまりの懐かしさでyahooでずいぶん練習して、
2年前、15年ぶりくらいに再び本当のビリヤードをしに行きました^^
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ピンボールをする女のコについては僕の周りにひとりもいなかったことを思い出します。
どうでもいいことなのですが、英語では「パチンコ」のことを「Japanese Pinball Game」と言うそうです。
システムエンジニア時代に、ビリヤードは何度かやったことがあって、とても興味があり、この2,3年、本格的にビリヤードをやってみようと思い続け、ビリヤード教室を探しているところです。
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