どこの家庭にも探せば1つか2つ、ホッチキス(HOTCHKISS)あるいはステープラー(STAPLER)が見つかるはずだと僕は勝手に思っているのだけれど、果たして、実家にも少人数の工作教室が1クラスできそうなくらいステープラーが見つかる。
まあ、家庭でのステープラーの使用頻度は高くない上、使わないでいると使いたいときに見当たらないというような些細な事情で増え続けていったのだと思う。
手前は実家にあったマックス株式会社の「HD-10」というホッチキス。
1964年(昭和39年)9月以降のMAX・10を受け継いで1973年(昭和48年)に発売された商品です。
「HD-10」には横からホッチキスの針の残りが見える小さな穴がついたものとついていないものがあるのだけれど、これは初期のタイプで、穴のないタイプです。
奥は僕が長きに渡って愛用しているマックス株式会社の「MAX-10JA(カタログ上では”HD-10JA”)」という1967年(昭和43年)頃に発売された商品で、100本の針が一度に装填できる。実店舗で僕はこれを使っている。
ホッチキスは機関銃の発明者である「ベンジャミン・B・ホッチキス」がマシンガンの弾送り機構をヒントに、ホッチキスの針送り装置を考案した、と一般には言われているのだけれど、それを証明する文献・資料は見つかっていないそうです。
ベンジャミンの弟の「エーライ・H・ホッチキス」が「E・H・ホッチキス社」を設立したという報道もあったようで、ホッチキスの発明者は結局のところ、何もわかっていない。
実際、マシンガンの弾送りの機構とホッチキスの針送りの機構がほぼ同じ(らしい…)であるのに、一方が人を大量に殺戮するために作られ、他方が平和的な文房具として使われる。
そんなことを考えると、僕はホッチキス(あるいはステープラー)を使うたびに、少し感覚的に妙な気分になるのだけれど。
ホッチキスの名前の由来はマックス株式会社の「ホッチキス物語」の「ホッチキスの歴史」を参照していただきたい。