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旧 橘小学校レンガ塀

旧 橘小学校レンガ塀(中央区)
赤レンガの建造物を見つけると、僕の心は無条件降伏して、惹きつけられてしまうのだけれど、これはひっそりと建つ「旧橘小学校」の赤レンガ塀の一部と門柱です。

このレンガ塀の左にはこの建造物の説明プレートが立っており、次のような文面を見ることができます。

“まちしるべ(中央区)
旧 橘小学校レンガ塀

このレンガ塀は、明治33年(1900年)
橘尋常小学校開校当時よりの面影を
残す由緒ある記念物です。
レンガ塀には、88年間の卒業生一人
ひとりの母校に対する懐かしい思い出
が、星の数ほど多く込められています。

平成21年5月
橘小学校 昭和27年卒 古希記念”

この橘小学校は1945年(昭和20年)の空襲により校舎が全焼し、かろうじてレンガ塀は残ったそうです。
少子化により、橘小学校は1988年(昭和63年)に旧国鉄湊川貨物駅跡地を再開発したハーバーランドに東川崎小学校と入江小学校と統合・移転され、現在の神戸市立湊小学校となりました。
僕は旧橘小学校を卒業したわけではないのですが、赤レンガ塀と赤レンガの門柱が素敵だったので、写真に収めました。

さて、僕は小学校も中学校も高校も入学した学校と卒業した学校が異なります。
つまり、学年・学期の初めや途中で転校・編入しているわけなので、卒業した学校を母校というのは簡単だけれど、思い入れのあった学校が必ずしも卒業した学校と同じではないことを付け加えておかなければなりません。

もちろん、どの学校にも温度差のような違いはあるのは当然のことで、それぞれ思い出があり、それはそれで大切にしているのだけれど、同窓会の案内はやはり卒業した学校からしか届かないですよね。

母校ってどこと言われると、形として卒業した学校名を伝えるのだけれど、時々、複雑な思いになることがあります。

そうそう、落書きはやめましょうね。

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