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2007年12月9日の神戸ルミナリエ

2007年12月9日の神戸ルミナリエ(時刻16:55)
明日、2011年12月1日(木)から12月12日(月)まで「神戸ルミナリエ」が開催される。
僕にとって、2007年の「神戸ルミナリエ」は特別な意味を持っている。

昨日のblog(2011年11月29日)の続き。カート・ヴォネガットは小説「ジェイルバード」の中で次のように書いている。

“まだつづきはある。つづきは常にある(翻訳:浅倉久志、早川書房)”

渡英してイギリス国籍を得たチャールズは1944年にキャサリンと結婚し、女の子を授かる。名前はジャネット。
ジャネットはアランと結婚し、自分のルーツを探し始める。

彼女が手元に持っていた資料と言えば、父親であるチャールズにイギリス人と日本人の両方の血が流れていること、チャールズの母親の名前と彼女のいくつかの写真、僕の祖父がチャールズとやり取りした手紙、そして、アンドリューと彼の妻ドナとその息子のアレクサンダーとジャネットの父親であるチャールズと彼の妻キャサリンと正装して写っている何枚かの写真くらいだった。

彼女は自分のルーツを探るために、ある日本人に全てを託し、2005年の春、僕の父が神戸に住んでいることを知る。
それ以降、僕たちはジャネットとアランと手紙やe-mailでお互いの近況を伝えあうことになるのだけれど、チャールズは1973年にこの世を去っていた。

2007年、ジャネットとアランは横浜、日光、京都と奈良を慌ただしく観光した後に、神戸にやってくる。
2007年12月9日、それはジャネットの誕生日の前日だった。

午後から僕たちは「神戸市立外国人墓地」へ行き、ジャネットは感慨深く、ジェームスの墓の前で祈りを捧げた。そばでアランが一言もしゃべることなく、立っていた。

2007年12月9日の神戸ルミナリエ(時刻17:03)
夕刻、元町の駅に着くと、「このすごい行列はいったいなんだ?」とアランが訊ねた。
「”ルミナリエ”というイベントなんです。光の祭典」と僕は答える。
「日本ではクリスマスをこのように祝うのか?」とアランが言う。
「そうじゃないんだ。これは震災の阪神・淡路大震災犠牲者の鎮魂と神戸の復興への夢を意味する震災メモリアルなんだ」と僕。
「震災は12月だったの?あなたのお話じゃ1月17日の朝だったでしょ?」とジャネット僕の顔を疑わしくのぞき込む。
「確かにそうなんだけれど…。なぜ、この時期にするのか残念だけれど、僕は答えられない」
「それにしても、すごく並んでいるね」とアランが言う。
「日本人は並ぶことが好きなんだ。日本人にはそれだけ時間もたっぷりあるんです」と僕は少し冗談交じりに答えた。

そして、僕たちは食事をし、ジャネットの誕生日を祝うということで、元町でケーキを食べてささやかなお祝いをした。

当時、「神戸ルミナリエ」の会場、及び公式サイトに日本語以外の言語の案内板や解説がなくて、説明に困ったことをいろいろ思い出した。
今もそのようなモノの見たことがないのだけれど、どうなったんだろう。
多言語の解説を要望したことがあるのだけれど、受け入れられなかったのかな?

神戸ルミナリエの会場へ足を運ぶ皆さんへ

これはクリスマス・シーズンのためのイベントではあません。形骸化していることは僕も認めるのだけれど、「阪神・淡路大震災犠牲者の鎮魂」のメモリアルであることを忘れないで欲しい。

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雑文

神戸市立外国人墓地に眠る血縁的には遠い親族

神戸市立外国人墓地に眠る血縁的には遠い親族
1857年にイギリスで生まれたジェームスはキリンビールの前身であるジャパンブルワリーで働いていた。
そして、僕の曽祖父の兄弟姉妹で末っ子(父が家系図をまとめた際に年齢順に名前を左から右へと書いたと仮定して)で1877年生まれの女性(もちろん日本人)と結婚し、横浜に新居を設けた。2人が出会った経緯は全くわからない。

彼らは2人の男の子たちを授かり、アンドリューとチャールズと名付けた。
後にアンドリューとチャールズの2人は本国で教育を受けるため、イギリスへ渡り、イギリス国籍を取得する。

ジェームズとその妻は日本に残り、1923年9月1日の関東大震災によって、家屋を失い、甥である僕の祖父を頼りに、神戸・須磨に避難してきた。
どうして僕の祖父を頼りにしたのかは謎なのだけれど、1892年生まれの祖父はどういうわけか英語が堪能だった上、時々、何度か船で何日もかけて渡英をしていたので、話がしやすかったのかもしれない。

事実、祖父は渡英すると、アンドリューの家族に会って、一緒に写っている写真を僕たちに残してくれている。
ただし、祖父は僕が生まれる何年も前に亡くなっている。

ジェームスは1935年11月に死去、その妻は第2次世界大戦の際に、姪のいる群馬に疎開し、1944年12月に他界した。1945年1月に始まる神戸大空襲の前のことだ。

ジェームスとその妻は六甲山の再度公園(ふたたびこうえん)内にある「神戸市立外国人墓地」に深く静かに眠っている。

レイモンド・カーヴァーの短編集「頼むから静かにしてくれ(訳:村上春樹、中央公論新社)」ではないのだけれど、短編集のタイトルのように「頼むから静かにしてくれ」たら僕としてはうれしい。

4年程、神戸市立外国人墓地へ墓参り(っていうのかな?)に行っていない。僕はそのことに申し訳なく思う。

再度公園・再度山永久植生保存地・神戸外国人墓地は2007年になって、国指定文化財の「史跡名勝天然記念物」に指定された。

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冬には「マルカの湯たんぽ」

冬には「マルカの湯たんぽ」

5年ほど前から、冬の就寝時に「湯たんぽ」を使っています。神戸に住んでいると兵庫県尼崎市に工場を構える「マルカ株式会社」の「湯たんぽ」はなんとなく馴染み深いモノです(僕だけかな?)。

昨年まで、「湯たんぽA(エース)3.5リットル」を家族で2個使用していました。
湯たんぽは鉄でできているために錆びがひどくなったことに加えて、温度が下がった際に「へこみ(変形)」を防止するための金属性の支え板があるのですが、それが外れて、「カラカラ」と音がするので、1個買い換えました。

今回購入したのは「湯たんぽA(エース)2.5リットル」。
「3.5リットル」分の水を熱湯までにするのが、結構面倒なので、少し小さめで充分かと…。

マルカ株式会社の湯たんぽには様々な種類がありますが、「湯たんぽA(エース)」シリーズと「湯たんぽF(エフ)」シリーズの違いは、前者が熱湯を注ぐことが可能なだけではなく、コンロ、ストーブ、IHクッキング・ヒーター等の熱源を使って沸かすことができるのに対し、後者は熱湯を注ぐことのみをという点で、その分、価格は後者のほうが安くなります。デザインは両者とも似ています。

使用の際は、このままではなく、布製の袋や厚手のタオルを巻いて使用しますが、金属部分がそれらから出ないように気をつけましょう。

気温があまり低くない日は2日程度、お湯を入れ替えなくても充分な暖かさを保持していますが、この温度がやや低くなった湯たんぽが低温やけどの原因にもなります。
熱すぎると、反射的に湯たんぽからからだが離れるのだけれど、暖を求めるような微妙な温度では気が付かないうちに皮膚の奥深くまでじわじわ、トロトロと焼けてしまうので、注意をしましょう。
そうやって僕は少し足を低温やけどしました。気をつけましょう。

頑張れ、マルカの湯たんぽ!

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雑文

僕にとってはあまりにも親切なメッセージ

自宅のリビングで使用しているエア・コンディショナーの本体にはナビゲーション・ランプがあって、時々、点灯する。
点灯した場合は、リモート・コントローラーに装備されているあるボタンを押すと、親切にメッセージを表示するメッセンジャーに憑依する。

「壁面に暖かい場所があります。カーテン・ドアが開いていませんか。閉めると省エネできます」だとか「外の気温が下がっています。送風運転がおすすめです。送風設定にしますか?」など…。

今日、エア・コンディショナーの本体のナビゲーション・ランプが点灯したので、リモート・コントローラー側で確認すると、「あまりエアコンを使用しない時はプラグを抜く事をおすすめします」と表示された。
夏が終わってから今日まで、このエア・コンディショナーを使うことがなかったの確かなことなのだけれど、「プラグを抜く事をおすすめ」されると、なんだかこのエア・コンディショナーの生命維持装置を止めるような悲しい気分になる。

考えてみれば、そのようなメッセージをプログラミングしたのは僕たち人間なんだけど、「プラグを抜くと、君は僕たちにもうメッセージも表示できなくなるんだよ」ってことを言いたくなる。

こまめに主電源を切ったり、プラグを抜くことは消費電力の観点から見ると重要なことなのだけれど…。

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マッチ箱/マッチラベル

マッチ・コレクション/「戦国武将絵巻」シリーズ

マッチ・コレクション/「戦国武将絵巻」シリーズ
僕のマッチ・コレクションから今回は「戦国武将絵巻」というシリーズのマッチ箱の紹介です。
3枚しか所有していませんし、シリーズ全体の数もわかりません。
1975年頃に集めた燐寸箱(燐寸の製造会社は不明)です。

左・・・・・「上:橘正行四条畷激戦之図、下:木曽義仲之像」
中央・・・「上:足利尊氏軍装之図、下:前田利家出陣之図」
右・・・・・「上:源頼朝之像、下:源義経出陣之図」

とマッチ箱に書かれています。